2010年2月18日木曜日

神戸雑感2

大学の内部を統一的な意匠によってコントロールし、落ち着いた、しかも活力ある空間に仕上げる、あるいは仕立て上げることは大切だ。教育・研究の場がけばけばしく落ち着かない風なのは困る。他大学の模範に接すると勉強になる。創設当時からすると私は毎年三日間ほど出講するだけだが、受講している側の授業の受け方がうまくなっているなと感じる。
人様の話しに耳を傾けるのは大事なことだ。
授業の仕方は古典的なやりかたに決めている。これまで大学教育の情報化の推進に躍起になってきた人間だが、相変わらず板書をしてこれを書写させる方向で授業をしている。お陰で手も服も白くなってしまう。それでも書き写すこと、それに聞いたことを更にノートに書き足すことはとても重要である。そのことによって手と頭と目と耳などが連動する。
授業時間中は学生諸君と対話する。これはこれまでのいつものやり方と変わらない。
色々説明しつつ、ところで議院内閣制ってなに?とか電子出版とは?とか突然に受講生に聞く。始めはびっくりどぎまぎだが、だんだん…かな?という風に答えが出てくる。
後生おそるべしダ。民主主義の目的は?というどうにもならないような抽象的な質問展開に、人格の完成だという哲学的な答えが返ってきた。本当は、生産力の発展、自由の実質化、市民社会の成熟という図式的な流れにのって質問していたのだが、日本も未だ捨てたものではないと、実感する。
戦時体制の航空機大量生産方式がそもそものモデルとしていたのはなに?という質問にも、自動車産業という答えが即座に返ってきた。ご当人は山勘ですと謙虚だが、どうしてなかなか優れたカンではないか。
こうして、感覚器官を働かせると同時に積極的にお話する姿勢も出来てくる。受動的な授業参加の状況を少しでも改善しなければならない。今回は十分できなかったが、新聞の記事も授業では大いに活用すべきだ。
大人の世界もそうだが、相手の努力を評価しながら進んでいきたい。勉強する気持ちは結局体力が支えるんだ。興味がない、つかれた、嫌になった、もう御免だ云々、そうなりゃ偉い人でもグダッとなる。当たり前だ。
けなし合いからはどうも美しい世界は生まれないようである。
もちろん、改善すべきことも多いだろう。そこはお互い丁寧に行きたい。

1 件のコメント:

  1. 授業には積極的に参加したいものですね。
    受動的ではつまらないですもの(^з^)~♪
    全てのことに通ずることですね。
    頑張らなければ、と思います。

    NIEには賛成です。
    私の受けている講義でも時々用いられています。
    結構面白いです。

    返信削除