ほぼいつも通りの勤務状態に戻っている。
龍馬の足跡の一部を辿ることが出来て良い休暇だった。グラバー邸から観望すると、長崎港の海面が青く輝いていたのが目に焼き付いている。ノーマン『日本における近代国家の成立』の熟読から始まった(何年前の事だったろう)趣味の維新史研究は、今後もごく私的に推し進めていきたいと思っている。
色々なことが目の前を交錯するが、とにかく粛々とこなしてゆく以外にない。
世間は民主党の党首選でやや騒がしい。今朝のテレビでは鳥越氏や大谷氏たちが小澤候補を招いて質問を繰り広げていた。小澤さんがリラックスして答えているのが印象的だった。しかし政界の再編はなお予断を許さない。日本は明らかに曲がり角にさしかかっている。
アカデメイアでは新聞を使った政治経済の勉強会が事務局の学生さんを交えて断続的に催されているが、今回の党首選のなかで出てきている論点は材料として大いに使うことができる。NIE=Newspaper in Educationの応用編としてがんばりたい。
正直、どうも日本人は大規模なスケールでの議論に弱い。国際関係についてはとくに議論がしぼんでしまう。沖縄の件も、東京の街角の若者にマイクが向けられると、あの大混乱の渦中でも「沖縄のことはちょっと不勉強で」という引けた答えが圧倒的。国民国家さえまだこのくにでは未形成なのだと妙に飛躍した結論を出したのを覚えている。鳩山さんの迷走は、単に政治家の責任だけとも言えない。国民世論がしっかりと方向性を磨き出さなきゃだめだ。合衆国は偉大な強国だが、このグローバルな規模を持つ国家との真の意味での協調も、自動的に相手の言うことに同調してしまうようなずるずるべったりは望ましくない。第一それでは相手が不気味がるだろう。議論し論点を主張することはなにもケンカをして決裂をすることではない。
もっと狭い世間に目を向けても、自分の主張に対して何でもかんでも廻りは翼賛すべしという人士が多いのは困ったことだ。君子すべからく精神の硬直をただすべし、まず相手の言うことをじっくり聞くこと。ことはそこから始まる。国会議員から市町村長まで意外にイエスマンに囲まれて暮らしたがる、そういうタイプが多い。異論に対して異常に弱い体質ができ上がる。場合によっては報復される。だから若い世代が萎縮して何にも言わなくなるのかも知れない。よくあるように、専ら目上のもののお説拝聴で恐れいったでは、積極的なディベートは成立しない。激しい議論の後にそれではと手打ちに入る。握手で終わる。それでいいのだ。もちろん異論・反論も礼儀正しく行うべきだろう。最高権力者がしばしばひどく乱暴な表現を使うのに我々民草は戸惑うこともある。偽善的なお上品さはいらないが、議論する相手を尊重する態度は必要。
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長崎に導入された低床式電車 |
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いつも息せききって博多-長崎間を往復する特急かもめ |
さて、事務局会議も終わり、一日のあれやこれやも終わり、引き上げようとしていた時、偶然、徳島のNPO法人 未来共社でご活躍の 畠一樹さん(同NPO理事)と川崎克寛さん(専属コーディネータ、E-planning主幹)が来学されているとのこと、短時間だったがお話を聴かせていただいた[意外に時間をとってしまったかも、お許しを]。
とても内容の濃いお話であった。すぐに話が通じあったが、これって驚異的なことでは?
事務局の学生さん達はすでに東京ベンチャー留学でお世話になっている。今回も、私たちのメンバーが参加希望をだしていた長期インターンシップのコーディネイトのためわざわざ松山までいらして下さった由。
因に、この取組は内閣府地域社会雇用創造事業の一環として取り組まれている。政治情勢のいかんにかかわらず良いことは良いことだ。どんどんこうした取組が学生諸君や地域の若者に近しい関係で展開されることが望ましいだろう。
なにより若い力を大切にする未来共社の皆さんのアクションに感銘をうけた。前線でご活躍の皆さんに深く感謝したい。
ソーシャルビジネスが更に更に地域で花盛りにならなければならない。一つの可能性として、そういう多様な市民ニーズにマッチした組織が若い人々の雇用を大量に生み出してゆくべきだろう。地域再生という困難な課題に私たちは正対しなければならない。これは時代の要請である。多くは前例のないところを踏み分けて進まなければならない。難事業だ。だが、困難だからこそやりがいがあるのかも知れない。
時代は、いやおうなく企業/行政プラスNPOでというステージに入りつつある。時代の夜明けはこれからだろう。鞍馬天狗みたいなことを言うが、これまったく実感である。
龍馬も出入りしたという料亭一力、今も瀟洒なたたずまいを見せている