2010年8月31日火曜日

グラバー邸を歩く

翌日はグラバー邸を訪う。
周辺はいちだんと土産物屋が多くなり、街角が派手になったみたいだ。この前行ったのは何年前だったろう。
歩く舗道とかエスカレータとかとにかく坂道を苦労せずに上がれるようになっている。やや興ざめるが、高齢者が増えているのだから当然かも知れない。それにしても絶景はよいとしても、急峻な丘の斜面にグラバーは本拠を置いたものだ。
幕末、種々の「商談」がなされたのであろう。歴史を振返れば感慨を覚える。
それにしても、グラバー邸はドラマでの常連ではあるが、意外にも小さい。夫妻のそれぞれの部屋にしても簡素なものだ。一路、日本社会の「開放化」(イギリスの「自由貿易主義」の日本における実現)に向けてイギリス商人が突き進んだ。工作、脅し、密約、裏切り、濡れ手で粟の大商い、それらは一部は我々の目に歴史物語としてあきらかだが、大部分は深い霧の中だ。龍馬がどうしてあんなにも大活躍出来たのかも、説明がつきにくい部分がある。グラバーの活躍舞台はよりスケールの大きなものだったろう。
謎があるから歴史趣味が途絶えないのかもしれない。
炎熱の空の下に長崎の港が静かに青く空の色を映している。
万人のための平和と福祉の世界、白刃をくぐって成し遂げた先人の近代化への偉業とともに、貴重な人類の普遍的教訓を深く思わざるをえなかった。
現代と過去が斬り結ぶ貴重な空間をグラバー邸は提供している。晴れ晴れとした丘の上の洋館は我々の宝である。

2010年8月26日木曜日

夏の休暇あれこれ

今夏は久しぶりに長崎に行く。家族のうち3名は親戚の家にやっかいになり。長男と私はニュー長崎ホテルに投宿する。最新のものではないが、設備の整った良いホテルである。
町はひどい暑さだった。
テレビのドラマで龍馬が放映中なので、いたるところ龍馬の文字がおどる。
ちなみに主演の福山くんは、長崎市稲佐の出身である。
ホテルの窓越しに西の方をながめると外港にむかって香焼島の一部が望める。大きな橋が架かっていた。
次の日は午前中、勇躍、亀山社中の本拠をたずねる。市内からバスでかなり高いところまで登る。そこからだらだら坂を登って、龍馬像に到着する。立派なポールが丈が足りないのか、その先に竹がつけられて、亀山社中の赤白の旗が付けられている。強風の故か、端がちぎれている。龍馬像の前庭から長崎港が一望される。見事である。朝入港した中国からの客船か、しゃれた船体が望まれた。
やがて公園を過ぎて、大きな岩のそばをおり始める。巨岩にとりついて岩登りを楽しむ人々がいた。
民家の間の細い道を歩く。
ようやく亀山社中の本拠にたどり着く。沢山の人々である。順番待ちで40分と知らされる。社中の建物は小さいから、すべて入りきれない。手持ちのボトルからお茶を呑みながら、辛抱強く待つ。だんだん先頭になってゆくが、後ろを振返ると続々と人々がつめかける。龍馬の偉業を見直したいとの巨大な流れである。当然、閉塞感がつよい現代社会の照り返しである。
亀山社中本拠の中はドラマで予想していた通りの小さな作りだった。長崎らしい、急峻な丘を切り刻むみたいに住宅の用地が確保されている。かつては社中からもそのまま港が見渡せたのではないかと思った。
兄からもらったという龍馬の愛刀がレプリカでおかれている。意外にも直刀であった。

2010年8月11日水曜日

錯綜した歴史的な意識

どうも我々は明治維新を起点にしてモノを考えるクセがついていて、王政復古で勝負あり、幕政のたそがれはなになにという風に、単純に区切りがちである。
ところが実際はもっと歴史は緻密に事実の連鎖としてあって、つまり、福沢だろうと龍馬だろうと、大村であろうと、市井の江戸っ子であろうともほとんど同時進行でいろいろな出来事を経験しているわけである。
人々の塊ないし集団がゆっくりと、あるいは急激に世界史の大運動の一部分として、我が国の近代化に向かって怒濤のように流れ込んで行くのである。いわば、集団の歴史的運動が、時代史として抽象化されて意識されている。
出来事は鮮やかに時代を象徴する場合が多いが、単一の事件、事変、戦争などは、その時代のすべてを表しているわけではない。第一次大戦といっても、われわれはざっくり歴史の流れを掴むために言っているのであって、開戦時と後半とではきっと何十年もの歴史を凝縮し洗い流してしまうほどの変動を社会のレベルにおいて刻印しているに違いない。戦争は強引に社会を変えて行くとも言えようか。
今回は龍馬について随分考えることになった。テレビ放送のおかげもあるが、大体においてこのあたりの歴史に引かれていたこともある。

2010年8月3日火曜日

はやくも盆踊り

なにか気がせいているうちに、はやくも大学の中庭から盆踊りの音がしてくる。
毎年の催しだが、生協を中心に屋台が出て、教職員がお子さんを連れてきたりする。いつもは武骨な大学のキャンパスも浴衣姿の女子学生で華やかに雰囲気が盛り上がる。
毎日盆踊りをしているわけではないが、家族に大学のキャンパスに親しんでもらう良い機会だ。
あまり有能なカメラマンではなくて、人物をとる時には引けてしまう。それでも勇を奮って一団の浴衣を着たかたがたに撮影の許可と掲載の可否をうかがう。もちろんOKですよという元気な返事をいただいた。
日本の着物の絵柄は、はでなのになぜかホッとする。
NPOでご支援いただいている先生とひょっこりお会いする。いつもコンピュータでお世話になっている生協の職員さんとも挨拶できた。
猛暑の日々だが、ひととき涼風が吹き抜けた。

2010年8月2日月曜日

IBIC今治ビジネス・インキュベーションセンターさん

IBICアイビック=今治ビジネス・インキュベーションセンターから品部行秀さんが来訪された。IBICには若干の説明が必要である
大きな組織としては、財団法人である今治地域地場産業振興センターが設置されている。建物は丹下健三氏の事務所による作品である。場所は、同市旭町2丁目で、今治国際ホテルの前にあたる。1階は展示ホール、じばさんプラザ、事務局などが置かれている。2階や3階は、会議室や技術センターなどがある。
5階にこのIBICがおかれている。センターの歴史は古く、1982年2月に創設された。「地場産業の振興の他に、創業支援や新事業創出の中核的支援期間としての役割も果たしており、異業種交流会や事業者・創業者支援のためのセミナーなども定期的に開催」しているとの説明が見られる。特にこの開拓的業務にIBICが携わっているわけである。
品部氏は、インキュベーション・マネージャーという肩書きをもっていらっしゃる。IBICさんの取り組み、特に本年度のバリバリ・ビジネスキッズ・プロジェクトの予定を説明いただく。私どもは、本NPOの設立趣旨と業務をご紹介し、今後の取り組みについて報告した。
今後の連携協力の可能性が大きいことを確認できた。大学--大学発NPO(アカデメイアなど「中間支援組織」)--地域振興の公共的組織(アイビックさんなど)という連携協力のラインである。
今治市は、タオル製造、瓦、造船、石材、漆器など全国版、国際規模の産業集積地である。この地域は学生諸君の就活においても要チェックである。
また、私たちの地域に向かっての連携活動拠点としても重要であることを確認できた。IBICの説明リーフレットは多角的で充実した諸活動を反映して、分かりやすくしかも中身が濃いものとなっている。
先行的組織として今後とも多くのことをご教示いただきたいと思った。