2010年4月28日水曜日

不調でも仕事せよ

公開講座は幸いにも大きく盛り上がった。
多彩な階層の方々が参加した。学生、院生、企業人、教員という枠組みである。
教員も学生・院生も、法文学部、教育学部、工学部、農学部、理学部など、とりどりだ。
講師のお話は、具体的で深い内容だった。おなじ先生から連続して充実したおはなしをうかがえる。幸せなことだ。まず、古典のテキストを引きつつ、コミュニケーション力の本質が講義される。最後に、就活において、企業側は面接でどのような戦略をこめて就業希望者に質問を行うかを、実際に模擬面接の姿で展開いただいた。実に参考になった。実験台にたって面接に臨んでくれた事務局員メンバーも堂々とこたえが出来ていた。私として、これまで客観的に対象化出来ていなかった色々な現象を、良い意味で突き放してみることが出来た。実に幸運な体験だった。
このラッキーさをもっと広く人々に知っていただきたい。

最近、専門職業人とは何かを考えている。タフに当該の専門領域で仕事をこなせることは、結論から言って専門職の必要条件である。
しかし、この一種の思い込みみたいな等式は完成形にむかう課程が省略されていて物足りない。
昔は豪傑が学問するのが理想だった。文武両道である。わたしのイメージが古くて、観念的だったということでしかない。さらに悪いことに、この理想型はわれと我が身には適用できない。実際には自分は神経質であり、調子がとりにくい人間である。食欲も細く、持久力もそれほどない。だから、強健な人物が一途に目標に向かって励むというスキームはどうも自分には適していないようであり、第一この理解は浅薄(せんぱく)かつ皮相である。
肝心なことは自分がそんなにタフな人間ではないことを発見したことにあるのではない。そうした虚弱なタイプの人間でも、長期戦を耐え抜き大きな仕事を成し遂げ得る場合もあるだろう。だから、弱いタイプの人間がタフな仕事をどうこなせるのか、問題はそう据えなおされなければならない。
問題をようやく正確に自分に即して掴むことが出来たのは、だいぶ歳を食ってからだった。
より普遍的に考えれば、人間として好不調があるのは当たり前。場合によっては、今みたいに悪天候の中で、タフだと自負している人も、免疫力が落ちてゆくことがあるかも知れない。
だから、波がある人間として[波があることが悪いのではなく、波があってもある程度のところに収めうるか]いかに調子を揃(そろ)えることが出来るかであろう。こちらが数学でいえば一般解への道に近い感じだ。
タフな仕事を一直線にタフにこなすことができれば、それこそ、赤飯で祝えばよろしい。だが、祝祭日の様な状況を経験することは長い人生のなかではほんの瞬間的にすぎないのではないか。
しかし、調子も悪く、なにもかもうまく行かない時はどうなる。目標が過大ならそれを引き下げる。目標を堅持したければ、アプローチの仕方を改善する。だが、いずれにせよ、持久戦であり、勤勉さをすべてのプロセスは要求していないか。
目標の堅持のためにはスキルが要求される。そのレベルはどの程度なのか?それを冷静に計ることが大人への第一歩なのかもしれない。自分にとって無理なことは無理、がんばれば出来るだろうということはなに、そうした冷静な自己の対象化が必要だ。理想はいい。だが理想状態に我が身をおくための最低必要条件は何なのか。要求水準のスキルは寝ていても出来るくらい十分に身に付けるべきだろう。考えていなくても手が動く状態である。
プロフェッショナルとは?という問いかけが盛んである。それは、熟練、目標への到達、それとぶれない社会性であろう。熟練、目標への到達が破壊的であり、社会的に是認されない内容ならば、熟達といっても余り意味をもたない。

2010年4月25日日曜日

愛媛アカデメイア公開セミナーのお知らせ


第二回目の公開ゼミが当NPO主催により開かれます。
改めてご案内致しておきます。
講師は、高知大学の坂本世津夫 教授です。



愛媛アカデメイア公開セミナーへのご案内
         NPO法人 愛媛アカデメイア

 NPO法人「愛媛アカデメイア」は、地域の社会的ニーズを見つけ出し、私たちが暮らすこの地での雇用機会の拡張を目指し、広く地域社会の活性化をもたらすことを目的とする自主組織です。
224日に第1回のセミナーを催しましたが、好評につき、マニュアルに頼るのではなく、コミュニケーションの本質を理解することに重点を置いた「対話力」に関して、第二回公開セミナーを開催することになりました。
よろしくご参集賜れば幸いです。

*本セミナーの基本アイデアや運営実務は学生・院生の手によって行われています。

セミナー
・公開セミナーの主題:古典から学ぶコミュニケーション力
・日時:2010年4月26日(月曜日)1600分より 90分程度を予定
・場所:愛媛大学地域創成研究センター・ミーティングルーム
・松山市文京町3 愛媛大学ミューズ3階
・講師:坂本 世津夫 氏
国立大学法人 高知大学国際・地域連携センター教授(生涯学習部門長)
・対象:全学部学生、大学院生、一般市民
・受講料:無料

会後、懇親会を予定しています。

建築家アントニン・レーモンド

土曜の昼食は大学の校友会館にひらかれたイタリアン・レストランでと思ったら、案の定、満員だった。いつもの学生食堂で昼食をとっていると、大学の役員をしているMさん(建築学)が少ししてやってきた。ひさしぶりなので、やーやーということになる。
彼は地元の近代建築の遺産を守る運動をおこなっている。
建築家アントニン・レーモンドの作品が県下にいくつかあるそうで、翌日は、そのうち旧広見町庁舎の保存のためのシンポジウムだという。東京女子大のチャペルなどが代表作。あとからいただいたポスターの映像によれば、この庁舎はレーモンドと地元出身の建築家である中川軌太郎の設計監理によるものであることがわかる。鉄筋コンクリートとは思えない屋根の質感の軽やかさなど、印象的だ。 
レーモンドはチェコ出身の近代建築の巨匠のひとり。ライトのスタッフの一人として来日、そのまま生涯を日本で過ごしたという。チェコが経験した大戦から冷戦期の困難な時代のことがちらと頭をかすめる。教授と別れてミュージアムのスタッフルームに戻る。早速、東京女子大学の情報をのぞいてみる。それから、この建築家を興味にまかせて調べてみた。なんと、信州で有機農業をしている友人の案内で、90年代の早い時期にすでに「夏の家」を訪れていることに気付く(文面では90年代半ばといっているが、92年あたりだったと思う。そのころレンジファインダーの古典的なカメラに凝っていた)。
ロッジの端麗な姿とともにポートレイトを喜んで撮影していたのを覚えている。改めて、軽井沢の夏を友人とドライブしたことを嬉しく思い出す。以下、その後のやり取りの一部。それと送っていただいた映像も添えておこう。



《私からのメール》

先ほどは興味深いお話をどうも。
アントニン・レーモンドの件ですが、軽井沢タリアセンに高校時代の友人と90年代の半ばに訪れたことがあります。
今ネットで上記の建築家を引いてみて、池の傍に立っていたロッジが彼の作品だったと気付きました。木材を使っているのに、ひどくモダンなスタイルだったのを覚えています。
先ほどおっしゃっていた町役場の映像など、また御教示いただければ幸いです。
建築文化財の保存へのご努力に敬意を表します。
                      匆々
《先生からのレス》
早速のリアクションに感謝です。
添付のような企画です(役場写真とも)。
なお、軽井沢タリアセン「夏の家」は、現在はペイネ美術館として健在です(1933年築)。
以上参考までに。
--------------
 御教示に感謝するとともに、地味な地域の建築文化の保存運動に重ねて敬意を表しておきたい。


2010年4月23日金曜日

長い悪天候

天候がひどく悪い。こちらの調子もおかしくなる。太陽の光にさらされないと人間の免疫力も低下してくるそうである。
留学当初の寒さと違和感による困難は、しょっちゅう風邪にやられるという状況をつくりだした。あきらかな耐性の低下、免疫力の弱化である。パリにいても、とくに冬の期間は、しばらくは楽しくも何ともなかった。そんなこんなで、83年の春は悪天候がパリでも続いて、なにからなにまで参ってしまった。復活祭の休暇であったか、悪天候のさなか、突然、雷鳴がして雨が降りしきった。テンペストだ。それからいきなり晴れ上がって、上々の春がやってきた。劇的なのに驚いた。復活祭とは文字通り、冬忘れの春の祭典なのである。
郵便局で待ち時間にテレビを視ると63年ぶりの低温だと報じている。野菜が不足し、当然ながら高騰する。陽は差さぬ、新鮮な野菜は不足する、二重苦である。
そんな中で、声が出なくなることになった。授業中のことである。明らかに声に変調を来して、やがてはっきりとしゃべっている音が完全に出ていないことに気付く。そういえばここのところ咽の炎症がしつこく続いていた。
意を決して近所の耳鼻科のベテランの先生の所に行く。さっそく鼻から機器が差し込まれて、診断がくだる。鼻炎がまず軽くおこっている。そこから粘液が咽にくだり、やがて声帯の一つに炎症をもたらした…ということだろうか。この先生には久しぶりにみていただく。以前よりスムーズに機器が咽に入っていったみたい。機器が最新のものに替えられたのであろうか。
食道が心配だからと別の医院を紹介いただく。翌日は家からちょっと離れているが、自転車で走って、食道や胃を内視鏡でみていただく。問題はないそうでほっとする。
この内視鏡にも静岡から松山に転勤する際のレントゲンでチェックされて、ごやっかいになっている。
当時の機器はもっと大きくて、たしか食道や胃に一定の違和感があって検査中は息苦しかったと覚えている。今回はそうした苦痛も軽減されていて、あっという間に終わった。医師のスキルが高く、かつ機器が進歩しているのだろう。
コンピュータの画面に自分の食道や胃の内壁や十二指腸の映像がじつに鮮明に出ていた。既にいわれていることだが、我々は自分の身体の内部に別の宇宙をもっている。つくずくそう思った。

2010年4月12日月曜日

新教養主義へのアプローチ

最近は「教養」ということがひどく人気がない。若者の活字離れも深刻である。この点、紙媒体の新聞の危機といった観点からも改めて取り上げる機会もあろう。
まじめな知的活動を挫(くじ)くような発言がその方面のプロからも行われるという悲惨な状況である。
社会階層の上昇儀礼としての古典的な教養の社会的な機能が終焉(しゅうえん)したのだという論点で、えらくマスコミ受けした大学教員がいた。もちろんマニアックなお宅族の大量生産はいただけない。しかし、あっさりと「教養主義」は切り捨てられるものか。おもわずうなってしまう。社会的な通過儀礼(受験と社会的地位の獲得)と教養をたかめる行為(人生という長いスパンでとらえるべきこと)とが無造作に連結されていて、前者のついでに後者も葬られたのでは珠玉の古典も浮かばれまい。もちろん、形式知としての「教養主義」と社会や人生の難問に立ち向かってゆく勇気を養う「教養」とは区別すべきなのかも知れない。後者は後ほど触れる「読解力」に連結しよう。まあ、むずかしいことはいい。
そんなこんなで古典の価値をもう一度見直してみようと最近は思い始めた。つまり、「フランスの分権化改革とその帰結」というライフワークはそのまま追求するとして、複眼的に古典的な諸作品の見直しをしてみようという試みだ。「教養の擁護」をあえてドン・キホーテ的におこなってみよう。少々間違ってたってかまやしない。暴論だということなら訂正していけばいい。自由な精神がしぼまないことの方が大事だ。読み散らすこともあまり性に合わない。早読みの方ではないからだ。
まず、大学院の講読の時間にホッブスの『リヴァイアサン』をとりあげた。ほぼ一年かけて院生達が各章を読み解き、報告してくれた。用いたのは中央公論社のクラシックスだったが、この赤い装丁の新書本はよく訳がこなれていて、読みやすかった。原文は中世英語の色合いの濃い難解なもので、むかしむかし丸善の店頭で手に取ってまったく分からないので閉口し、買うのをやめたのを覚えている。野心的な大学院生一年目の頃である。
翻訳を丹念に辿ってゆく。内容は個々の論点が十重二十重に論証され居て、じつに面白かった。原著はおそらくサロンや僧坊での活発な議論を背景にしているのであろう。集団的討論の雰囲気を論述のそこここに感じた。
また、あまり堅苦しく論じたくはないのだが、洞窟の中に置かれた人工的な神像へひとびとはぬかずくという有名なくだりは、この本の中でそれほど重要なポイントになっていないということを改めて発見。ホッブスといえば洞窟のイドラ(偶像)という固定観念は、見直しが必要だったいうことである。精読の意義が十分あった。また、一旦(いったん)国家を組織したからには、人はその指示するところに絶対的に従うべきだという命題は、自然状態(人間が人間の狼である状態であり、したがって、自滅してしまう危険性を帯びている。だから人はそのもっている権限を社会を代表する人士や議会に「全面的に」預託する)の克服ということからなかなか容易には導出できない。ホッブスの本書は、その点、終始果敢(かかん)な挑戦を行っているが、時代的な制約はやはり巨匠としても乗り越え難かったのが、興味深く読み取れた(因に、高校時代の河野先生のお陰でわれわれは社会科学への入門がはたせたのであった。先生の原文の解読に基づくイギリス経験論の歴史的な展開は、若い感性に強烈な印象を与えた。達意の英語の読み手であったのであろう、Marxは先生によって、「マルクス」ではない、確かに「マークス」と発音されていた)。
個人的な読書としては、今年に入ってから手始めにツルゲーネフにとりついた。丁度、復刊本が出回っているので都合が良い。『貴族の巣』から『父と子』へと岩波や新潮文庫で読み進む。二葉亭四迷の名も浮かぶ。いずれにせよ、あまり演説調なのは苦手なので、次はチェーホフである。
19世紀の作家達の特徴だろうか、あらゆる事象があつかわれ、多彩な人物達が登場し、そのポートレイトが詳しく描かれる。政治的な制約だろうか、デカブリストの反乱(1825年)などちらっと出てくるが決して深くは触れられない。だが、時代の必然的な流れは人々の具体的な行動をとおしてしっかりと描かれてゆく。気だるい田舎貴族の生活と、新時代を切り開こうとする野心的な雑階級の青年達と。芸術的に描き出されたロシアの年代記、換言すれば主人公達を通して生きた社会科学が彼方に見える。ロシア史を深く学ぶという楽しみも浮かぶ。そういえばフランスとロシアのことどもは交錯(こうさく)することが多い。貴族達ははしばしでフランス語の表現を用いる。とても面白い。
これらの古典作家の名は書店の店頭でというよりも、実は小さい時に耳にしたラジオ放送によってすり込まれているものである。『赤毛のアン』からラ・ロシュフコーまで、昔はラジオが家の中心に置かれていて、朗読の時間はとりわけ耳をそばだてて聞き込んだものである。しかし、こちらの理解力も幼かったのか、これらの作品の多くは放送波に忠実に載っていたはずだが、内容はさっぱり覚えていない。時宜(じぎ)を得たというべきか、旧字体のままの復刊本などは、ラジオ全盛期の想い出まで机上に届けてくれる。
国際比較で話題の「読解力」は読書力そのものではないという。しかし、楽しみの読書と専門家[専門家たらんとする訓練も含む]としての精読とは、いずれも読解力の基礎であることは間違いあるまい。やや性急かもしれないが結論を先取りすれば、読解力=読書力+ディベート力そしてその彼方に文章力ってことだろうか?
ともかく名著の復刊を切に望む。また、新潮世界文学や筑摩世界文学大系など、行き届いた全集本が今一度親しみやすい形で手に入るようにして欲しい。古典書籍は市民の文化財そのものだ。

2010年4月9日金曜日

「はじめての助成金講座」に参加しました

松山市のコムズにおいて開催された「はじめての助成金講座」を事務局長とともに受講する。
講座の指導は、まつやまNPOサポートセンターの佐野氏がおこなってくださった。
どうも正直、わたしは、自分自身ないし自分自身が今日ただいま追求していることをこと改めて弁証することが苦手だ。何となく万事を阿吽(あうん)の呼吸で済ましている我が身を反省することしきりだった。
最初は、自分の氏名、団体名、団体でしている活動内容、助成金をもらってやりたいことという4点について、1分以内で述べなさいという演習課題であった。
これは私が挑戦してみたが、時計を見ていると草稿がみれない、メモを辿っていると秒針をみることが出来ない。窮してしまい、おもわず心臓がドキドキした。エイッと気合いを入れて、まとめてみればこういうことだろうと要旨を頭でくくって、細かいことを省き太い線で述べてみた。どうかよろしくお願い致します、と云うところできっちり60秒でしたと講評をいただいた。ひどく消耗した。1分間にこれほど精根をかたむけたことはなかった。
あとは非常に実践的なNPO組織などのプレゼンテーションのノウハウであった。これは本当に参考になった。
最後のハイライトは、今後の組織運営の要点を3分以内でプレゼンをということだった。
今度は事務局長が報告。最初の1分ものは私たちが右後ろに座っていたので最後だったが、こちらのプレゼンは先頭で指名された。
元気な若い報告をしてくれる。ともどもにホッとした。
間に休み時間があったとはいえ、3時間ほどにわたってご指導をいただいた。また、他の諸団体のまじめな自己紹介と活動の抱負も聞かせていただいた。プレゼンの仕方とあいまってとても勉強になった。
これから社会人基礎講座などわたしたちの活動はほとんど待ったなしで展開される。
改めて気を引き締めなければと思った。

2010年4月2日金曜日

新学年が始まった

ようやく気温が上がり始めた。
春らしい草花も咲き競い始めた。
ミュージアムに隣接したカフェは、店内がやや狭いので、庭に向かってウッドデッキが拡張された。
天候の回復のおかげか、コーヒーを飲んでいるご一行に出会った。早速、お断りして、おそらくデッキ利用の第一号にあたる方々の撮影をさせていただいた。もちろんブログへの登載もお許しいただいた。
リラックスできる自由な空間が多くなることは結構なことである。

*愉快なコーヒータイム

*校友会館の前にはショップの大きな空間が出来た

6日には入学式だが、最近の傾向だろうか、健康診断やオリエンテーションは既に始まっている。