2011年1月16日日曜日

凍てつく冬の日

暮れ、12月28日は御用納めだった。インターンシップをご指導いただいている関係者の松山への来訪を得て、日ごろアカデメイアにご理解いただいている先生方と懇談する。この動きは、正月明けの、11-12日と続いた。在る程度長く勤務してきて、他の学部の沢山の先生方ともお知り合いになれたのだが、タイミングの関係で今日まですれ違いに終わっていた先生ともこの機会に親しくお話ができた。夕食時にはアカデメイアの学生メンバーの一部が合流してくれて、ささやかだが新年の集いができた。就活期にあたっている学生諸君にはとても有り難い出会いだったろう。
私ごとだが、暮れから正月は専攻の論文をひとつ形にしようとがんばった。いや、苦しんだというべきか。
正月元旦だけは穏やかな一日で、年賀状をしたためたり、のんびりしたりして過ごす。
あとは、暮れも正月も無視して、大学のオフィスにでてひたすら原稿を打ったり、データの編集に終始する。学内は寂として声なしである。当たり前だ。こちらがふだん、走り回ってばかりいて不勉強なのだから仕方がない。しかし、どうも昔流に言えば筆が走らない。元の資料をためつすがめつした。結局、対象そのものへの自分なりの理解が出来ていないことが分かってきた。我慢して資料を改めて精読する。4日、仕事始め。学長の訓示がネットのオンラインで流れているので、慎んで拝聴。多様な社会的任務を地域にある大学として責任をもって果たしてゆくべきだと強調されていた。共感する。
さて、家計は相変わらず節約一色である。貧乏暮らしをしていると服には返って気を使う。自分の頭が固いのであろう。リラックスした格好がどうも苦手である。
もうとっくに有名になってしまったが、鎌倉シャツの支店が渋谷にあったので、定宿のホテルからの散歩がてらに、いろいろ買いそろえた。2004年頃の頻繁な公務出張にはそれなりに道具がいった。綿シャツ特有のゆったり感があって愛用してきた。
在る程度数がそろうと循環的に使えば済む。公務での2年半の上京の日々、大学法人役員としての3年、そして停年、客員としてのミュージアム勤務、NPOの主宰、嵐のような何年かであった。ただ、積年の酷使によるものか、さすがにそのうち何着かは襟元の布地がほころんできた。なれたシャツを着て激しく働いたということだろうか。これといった病気にも冒されず、概ね元気に働けた。天に向かって合掌である。

このままでは手元のシャツが枯渇する。ネットで袖丈の直しをいれて、3着注文した。ネットでの注文は布地の具合が分からない場合があり、ちょっと不便だが、ブロード地とかなんとか好みの布質を理解しておけばまあなんとかなる。
縫製の専門家による作業であると聞く。それに他の銘柄品に比べても価格が低廉に抑えられていてえらいなあと思う。たったひとつ困ったことは、極細の紺のストライプスでボタンダウン襟など品薄なことが多い。誰でもが好むタイプだからか。
サラリーマン教師の楽しみなど経済力からして知れている。
純綿の気に入ったカッターシャツは数少ない身辺の楽しみのひとつである。
新年の授業が6日から早くも始まった。3回生で今の季節に地味な政治学の特殊講義を聴いてくれるのは、特に熱心な学生諸君になる。授業では対話と新聞記事の利用に心がけることにしている。
新年にこれといって新しいことなどないのだが、それでも糊の利いたワイシャツを着て、「襟を正して」教育現場に臨む。それにこれが肝心だが、ことしこそNPOをより本格的に展開するぞと思う。
家では長くアンプが故障したままに放置されていて、音楽が聴けていない。コンピュータで小さなBOSEを鳴らしているが、どうもこれではブラームスもこじんまりしてしまう。どうかして節約して真空管型のアンプを組み立ててやろうと狙っている。子育ての間にいろいろ今年も個人的にもありそうだ。

小学校でおなじみだったオルガン。徳島の大正館にて、
ミュージアム入り口のサイン
大学の大通り、正面は耐震補強した教育学部学舎
西からの強風にミュージアムの旗が鳴る
左はエミカ(生協ショップ)右は校友会館、
道路を隔てた冬木立は東中学であろうか
同じポイントからカメラを北に向ける。
右エミカ、左は教育学部の東端。かなたに御幸寺山[みきじさん]
寒い景色だ。

1 件のコメント:

  1. 新年の集い、楽しかったです(^o^)丿
    すごくいいお店でしたね☆
    御馳走様でした(*^ω^*)

    年を明けて、就活もどんどん加速化してます。
    先生、ご指導のほどよろしくお願い致します~m(_ _)m

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