2010年12月24日金曜日

四国をはしる:徳島へ

12月21日には地域で活躍されているNPOのみなさん方の忘年会が催された。NPO法人Eyesさんからお誘いがあったので、当法人を代表して、農学部の小田先生と教育学部のTさんに参加いただいた。
わたしは、次の日、早くから旅装を調えて、徳島に向かう。事務局長が車で運んでくれた。
四国にいて、徳島のことを知らない。高速道路沿いに四国山脈にそってこの島を横断する。
徳島に入ると片側二車線の狭い状況である。
在る程度進むと、阿波池田あたりからか、四国三郎である吉野川が削り混んだ雄大な峡谷部にでる。それでも目指す阿波徳島の県都ははるかに遠い。この大河の左岸をずっと下ることになる。
比較的ゆっくりアプローチしたからか、3時間ほどで、ようやく徳島市中心部に着く。
NPO法人の市民未来共社さんにおうかがいする。
島代表をはじめ、皆さん方が暖かく迎えて下さった。私どもはNPOの最新の動向もよく分かっていない。一服の時間に、親切にいろいろと教えていただいた。精力的に状況を打開しつつあるNPO団体の本部におうかがいできて、少々興奮気味だった。
ビジネスホテルに荷物をいれて、それから第1期インターンシップ生の終了報告会に出席する。
まずは、Relation主宰者による神山古民家再生プロジェクトの説明であった。
二件長屋の正面から左半分のほとんど完全な解体と修築である。パリの旧市街再生事業を思いだす。
右半分は今回の事業に含まれていなかったそうで、良く半分だけ改築できたなあという感想である。
東京の美大生の皆さんが現地で働き、設計部門の東京サイトとの通信ネットを介しての作業だったという。面白い。インターン生のIさん、Kさんがバックアップの事務処理にあたったという。
さて、7名の修了者のうち、3名が男性で、4名が女性である。大部分は学生か院生の身分であり、それぞれが感想を寄せている文集をもとに報告がおこなわれた。
インターンシップには、参加希望の若年層の人々がいたとして、メンターと呼ばれる個別指導員がついて、具体的に企業/団体に実習生として入るというシステムである。以前は特に短期のものが中心だったが(インターンシップへの「実際の業務を脇で見ているだけで軽い」「余計なこと」「役に立たない」などという誤解が生じたきっかけかも知れない)、最近は、雇用創造の観点から、また、社会的ビジネスを起こす観点からより内容を充実させるべきだとの動きが起こり、内閣府などによる公費の助成により、1ヶ月、2ヶ月など長期化の傾向が出始めた。連続してインターンシップ事業に参加できないひとも多い。そのときは、場合によってとびとびに研修をおこなっても良い。あくまで在学生なら就学との両立が損なわれないように配慮されている。
インターンシップの必要性はどこにあるか。それはおそらく技術革新が進み、生活の利便性が進み、目覚ましいグローバル化の反面、就業希望者には、即戦力の名目で、それまでにない高度な能力、必要にして十分なコミュニケーション力、問題発見能力、解決へむけての開発力、読解力を前提とした文章力、チームワークなど社会人としての基礎力[基礎力といっても実体は強い柔軟性を備えた専門的能力も含まれる]が大きく問われているからであろう。しかし、大学や大学院にまで至る教育課程が十分にこうした社会人としての基礎力を養っているかといえば、ベクトルは食い違ってしまっているのが現状だ。だから、学生/若者が就労希望だとしても、教育課程と職業人のステップが甚だしく段差があるのが実情である。そこから、なにがなんでも集団的に企業説明会に参加し、「就活プロ」の導きを得ておけば就職だけは何とかなるのではないかという、いわゆる「就活」特有の悲劇が生まれるのであろう。
就活イベントは全部が全部駄目とはいわぬが、大学生なら3回生の後半という、一番勉強して高等教育の訓練を充実させなければならない時期に学生を大学から決定的に引き離す[あるいは、「引きはがす」か?]方向での社会的な強制力が働くことには、どう見ても合理性は見いだせない。そこにあるのは、乗り遅れたらおしまいだという恐怖感そのものであり、基礎学力や高等教育への蔑視である。
インターンシップはこれに反して、具体的な職場の体験をおこないつつ、社会人としての当然のマナーやスキルを順に学んでゆく場である。協力受け入れ先としては、一般企業とともにNPOや任意団体、行政のサービス機関などが含まれる。もちろん、色々なつまずきも経験する。落ち込むこともある。そのときメンターの役割が重要となる。インターンシップの正否はじつにメンターの働きによっているとも言える。
最初ははらはらドキドキだった受講生の皆さんも、職場のかたがたやメンターの皆さんに助けられて、見る間に古い殻を脱皮してゆく。若者が宿している潜在力は強力である。「後世おそるべし」とは先賢のことばだが、それは文字通り当てはまる。
皆さんが堂々と意見を言い、これからの課題を述べ、関係者の皆さんや親御さんの親身の援助に感謝の言葉を述べていた。これから恩返しをしていきたい、生活の一部として働くことの意味をつきつめていきたい等という沢山の印象的な言葉をライブで聞くことが出来た。着実に責任ある社会人へのステップに乗り出しているのである。
受け入れ側の企業や公的団体の方々からも、実は受け入れ側の方こそ大変に勉強になったというご発言があった。謙虚で立派な企業人/社会人の姿をみる思いだった。Win-Winの相互作用が働いている。
みなさんの発言を色々ノートをとって聞いていた。なるほどなーと、長期インターンシップについて従来分かっていなかったことが想像可能な状態に徐々になってゆくのが感じられた。本当に感謝だ。

翌日は、築100年になるという大正館におうかがいする。主要な部分に手が入れられ、すっきりしたキャフェ・レストランになっている。忘年会が二階で催されていた。近所の主婦の方々がてきぱきと料理を用意されていた。
私たちは、昔ながらの火鉢で餅を焼いて食べた。それから昼食までいただいた。
ふるい民家のなかで、自らの来し方を想い、これから先の事を考えた。静かなときが流れていているのが感じられ、癒された。これからの困難なNPO運営や自分自身の研究に立ち向かう勇気をいただいた気がする。ディジタルカメラであれこれ撮影をしておしゃべりをして、和やかなときを過ごした。
有り難うございました。

充実した終了報告会にしようという意気込みが感じられた
想い出を含め、笑いがあふれた。
また、同時に胸に迫るものがあった。
100年を経て修築された大正館
格子のリズミカルな模様が良い
開放的でありながら伝統的なたたずまい
年月を経た木材が渋い。
瓦を縦に埋め込んだ粋な散策路
裏庭から母屋を望む。
屋根がしっかり修築されていることがよく分かる。
低い築地塀に沿った自然な草木
スタッフが餅を焼こうと火をおこし始めた。
メンターの先生も参戦する
大窓に面した明るいサロン。
昔は子供たちが野山に行く時に、この小さな重箱を持たせたという。
実物をと、マダム島がご用意くださったお食事
お重をあけるとこうなる。お料理の芳醇な味と彩りに感動する。
帰路につく。吉野川の一番ふるい大鉄橋、すべてリベット留めであった
河岸の雄大な景色、傾きつつある陽を吉野川が照り返す

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