過日、毎日新聞 高谷 均 記者のインタビューをうけた。
新居浜市の市議選では、約半数の現職が選挙期間中の街宣車の自粛を申し合わせているという。当然この動きは賛否両論を呼び起こした。
自粛派の文書では、「名前の連呼が主体の街宣車は、騒音や渋滞が発生する上、07年の選挙では燃料費として総額671万円の公費負担が生じた」などと言っている。
これに対して、「主張伝える機会減らすことにも」と小見出しを付して私の見解が紹介されているので、引用しておこう。
「民主主義には、ある程度のコストがかかる。公費をゼロにすればいいものではない。街宣車自粛は、[市民不在のかたちで形式化し]肥大化した選挙戦を見直す機会になるかもしれないが、市民に[候補者たち]みずからの主張を伝える機会を減らすことにもなるのではないか。」(毎日新聞、愛媛版、2011年4月16日付けより。[]は引用者)
誤解を避けるために補筆してみた。なお、選挙戦をより簡素に一途に節約路線でということは本旨に反する。より市民に親しみやすい、対話と相互の意見交換が必要。そういう意味では、候補者の戸別訪問もただただ禁止することには疑問である。街宣車をやめるのはそれぞれの判断であろうが、その分、市民とのフランクな接点を設ける意思力が政治家のなかになければ話しにならない。
地方自治や分権化を追求することは時代の流れではあるが、政治家/有権者市民のインターフェイスを、慣れから自らを解き放ち、根本から考え直すべき時点に立っているのかも知れない。いきなりディメンションを転換した言い方で恐縮だが、地域の活性化のためには知性あるアマチュアを大量に育てなければならないのだ。
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