2011年9月30日金曜日

ようやく授業である

長い夏休みが終わりつつある。
いよいよ授業である。あれこれと文献を読んで準備する。
R.バチェラー著、楠井敏朗・大橋 陽訳『フォーディズム:大量生産と20世紀の産業・文化』日本経済評論社は、近年の読書生活のなかでも画期的な収穫だった。
何気なく、この表題に引かれて読み始めたのだが、始めは難解な調子に閉口。これは決して訳文のせいではない。原文がおそらく力が入った集約度の高いものなのだろう。
ハイライトは後半のMass productionとModernismとdesignという現代生活に必須の現象をしっかりと分析し、その相互関係を解き明かすくだりにある。なんとなく自分として収まりの悪かったコルビュジェの位置取りもようやくはっきりしたみたいだ。肝心のフォードその人は、製品のコストダウンにのみ興味があったそうで、デザインには頓着しなかったという。工業製品のデザインにこだわったのはむしろ競争相手のGMだった。この辺の食い違いがとても面白い。
どたんばたんの内に20世紀は過ぎ、終わったのだ。
通勤途中に目にした日蓮宗のお寺の聖語、現状をあらわすにピッタリでは

おなじく通勤途中の不退寺に掲げられた旗が秋の日に鮮やかだった

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