2010年1月21日木曜日

『就活のバカヤロー』の著者・石渡嶺司さんとお会いしました!

※写真は、千歳橋より北側に池袋方面を望んだもの。

2009年11月なかばのことです。
大学祭にあわせるかたちで勤務先の大学ミュージアムが開館するので、やや緊張して出勤。
ちなみにこの館の空間・展示デザイ ン・ディレクターは徳田明仁氏である。
突然、石渡先生が昨日から職員研修会の講師としていらしており、これから開いたばかりのミュージアムにいらっしゃるとのこと。エエっ!あの新書の著者の方ですよネ?という感じでした。大学事務局はまさにその通りですとおっしゃる。
NPO事務局長のおがさわら君に青くなって携帯をかける。かれはかなり遠いところを自転車でかけつけてくれた。
ミュージアムを訪れてくださった石渡先生とお会いできた。ミュージアムのスタッフにも幸いご紹介できた。本当、掛け値なしでびっくり仰天だった。研修会の講師の先生に気付いていなかった自分をしかる。

というのは、私たちがこのNPOを組織することを考えたそもそもの動機が、
石渡嶺司・大沢仁『就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇』 (光文社新書)を読んで、まさにショックをうけたからにほかならないからだ。

2008年度まで就職学生の指導をゼミを中心に行ってきた。ゼミ生たちは、都市部の一部上場企業や自治体職員への合格を連続かちとってきた。就活の点からは私のゼミは優等生だったと思う。雑誌の記者になった卒業生もいる。だから私はなにがどうあろうと卒業生達を誇りに思っている。
しかし、誤解を与えないように断っておきたい。いやもちろん、一部上場企業うんぬんの社員になることのみが人生のすべてではないのだ、と。
私自身、大学入試をはじめ、物心ついてからあらゆる試験や研究者ポストの獲得戦争にほとんど連敗し続けてきた人間である。それに小さい頃から戦後復興で住宅の建造にたずさわる職人さん達は当たり前の存在だった。零細な工場や職人の仕事場は神田川沿いの下町の方に歩いてゆけばごまんとあった。だから、地域や小企業で地道に働く人々に、シンパシーをもっていないわけではなかった。
むしろ草の根派、地の塩でありたいと戒め、実際にそう思ってきた。
だから学生諸君には留年やなにかでつまづいても、一応最後まで付き合って自立した社会人になってもらうように支援した。
しかし、いつの間にかと言うべきか、優秀な学生=大企業(官庁)=安定的なキャリア=幸せな人生という図式が私の中に固くでき上がってしまっていたのかもしれぬ。私みたいにつまずかずに幸せになって欲しいという願いが潜在的にあったのかもしれない。
優秀な学生を督励するとは、自らを謙虚に振返ればこっけいなことなのだが、…。

しかし、さすがに最近の金融経済危機は学生諸君の就職活動にもはっきりと影を落とし始めた。私のゼミに居た3回生達も、最終学年になり苦戦していた。どこか従来の大きなマシーンのネジが外れた感じだった。もうひとつ、気になることが生じてきた。つまり、地域はこのままで良いのかという意識である。
出張や個人的な所用で東京まで行く。最近はゆっくりと鉄道でゆくことなどない。空の慌ただしい旅である。その合間をぬって幼い頃にすごした目白の街をせめて30分でもと散策する。
小さな山手線の駅を出て、学習院大学や目白小学校の前を千歳橋まで、いつもながら目白通りはホッとする。だが、高架橋から池袋方面をのぞむと屏風のように高層マンションが建ち並ぶ。窮屈な光景に興ざめてくるものを感じる。こうして、いつの頃からか、無邪気に散策など出来なくなり、しきりに大都市部への違和感に悩まされるようになった。なつかしがってばかりは居られないという思いが強くなる。
これはどういうことなのか。千歳橋をおりて、都電の駅まで歩きながらしきりに
考えていると、一瞬、昔読んだ文献の一節が頭に浮かぶ。
結局は、富の過剰な一点集中ではないのか?経済格差、資本力の大小が空間的地理的な広がりを与えられたらどうなる…。
反面、現在自分が拠点をおいている四国の地域はどうだろう。静かな街や田園は落ち着いたたたずまいを見せている。秋などカメラで撮るととても美しい風景だ。
しかし、就業という観点からはよろしくない。地域の雇用力は枯渇しきっている。結局、少子高齢化のドライブがかかっている(この流れは東京であってもかわらない。都心部住宅街の高齢化は見ていても分かる)。良心的な地域の出版社も家業をたたんでしまった。そんな例は枚挙にいとまがない。
ともかく、なにもこんなに中央部にヒトモノカネをあつめなくてもよいのではないか。雇用の創出は結局は地方への産業や都市機能の分散化やひいては分権化の議論につながってゆく。ICTといったって本当に利活用されているだろうか。

いずれにせよ、私たちは型通りの就活へ学生諸君をひっぱってゆくスタイルを乗り越えなければならないだろう。そうした問題意識がうつぜんと頭をもたげてきた。
丁度そんなときだった。在学生の勧めでこの新書を手にした。書店の店頭ではうずたかく積まれていたのだが、やや表題にけおされて引けてしまっていた。
早速、気を入れて読むと、文字通り痛快に論じられており、共感した。タブーや業界の慣行をかち割って見せる著者達の勇気にも感動した。それも決して乱暴な語り口ではない。マーケティングの手法が良い意味で駆使されている。ここでは敢えて引用したり、逐一論点をたどることなど必要ないだろう。
就活生も一二回生も、大学運営の当事者も、それに企業側も、なにより謙虚に本書を一読することである。
要するに、学生も企業も大学もあおられ、我を失い、就活の犠牲者になっているのだ。企業も真に戦力になる社員が欲しければ、型通りの採用試験から脱却することだ。行政ももちろん傍観せず動かなきゃ駄目だろう。
それになにより、地域の雇用創出を気を入れて行わなければ。大学はおろおろせずに本来の教育研究機能を守ってしっかりとした社会人候補者を就職の場に送り出すことだ…。

石渡先生とコーヒーを飲みつつ貴重な意見交換が出来た。知り合いの先生や幹部職員にも同席いただいた。石渡先生にNPO申請までの顛末を簡略にご報告もうしあげた。
それにしてもラッキーだった。本当にこれって偶然だったのだろうか?たまたまNPO法人格の申請の時だったのだから…。

NPOを元気に大きくしていきたい。
事務局長とそう語りあった。

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