2011年2月28日月曜日

神戸夙川学院大学出講3日目=終了

2月16日、講義の三日目。ようやく天候が回復する。
廻りを見回してカメラを構える余裕が更に増したが、残念、もう帰らなければならない。
収めの授業をして、試験をする。そうして三ノ宮に急ぐ。
駅前のデパートではいつも通りフロインドリーブの焼き菓子を求めて、地下鉄に急ぐ。ようやく新神戸。
またまた残念。新幹線から岡山経由で松山までの四国連絡特急しおかぜの一サイクル前を狙ったのだが、時間切れ。
予約通りの遅い時間になった。
覚悟を決めてコーヒーと洋菓子を駅のキャフェでとる。
良い頃合いに新幹線の高い高いホームに出る。地下鉄からみて本当に長いエスカレータである。
工事の際は大変だったろうと思う。地下鉄はこれでもかという深々度開発である。だから、地下駅から新幹線のホームまではこれまたどれだけの落差だろう。神戸という狭い土地での造作が大変だったろうと思う。
1995年の震災直後の3月末に静岡から松山に面接のため急いで行く。教育学部社会科専修の大学院設置のために人を探しているということだった。
京都に泊まって、それから新幹線は途中で使えない。在来線、バス、在来線、それから新幹線にちょっとだけ乗って、岡山で四国連絡のしおかぜに乗る。非情なことにこの年、特別の寒波が居座っていた。被災者の方々の苦難は計り知れない。途中通った三ノ宮で在来線に。窓からは目に入るすべての建物が崩れたり、腰折れになっている。驚くべき光景に座席で思わず体が硬くなるのを感じた。
ようやく山陽路を岡山にたどり着く。予讃線は、左側の座席だったから四国山脈の雪が深いのがよく分かった。
未来の同僚たるべき方々が暖かく迎えて下さった。大学のキャンパスは地味な地方大学のものだったが、手堅い印象だった。講座の若手もベテランも自由にモノが云える雰囲気だった。そういう講座づくりに共感した。
当時は静岡の短期大学に奉職していたが、なにかにつけて行き詰まりを感じていた。直感的にここで働こうと決めた。文部省関係の審査などでそこから一年待たねばならなかったが、96年の4月からドタバタのうちに新しい生活が始まった。子どもはその頃二人だったが、一家にはなれない土地への転勤で思わぬ負担をかけたものだ。もちろん、私自身も失ったものは大きい。なにより心通わせる友人達との別れがこたえた。この想いは未だに癒えていない。もちろん自分の研究はスケールアップしたし、男女の学生達の勉強熱心なのも気に入った。それに当然ながら、愛媛大学でも沢山の心かよう方々と出会うことができた。
列車で移動するたびに当時の事を想いだす。色々のことが執拗に頭から離れない。時々、記憶よ消えろと言いたくなる。老いてゆくことにも強い抵抗感がある。時間よとまれ!ああ、自らの運命を清く受容れるべし。
神戸での授業のことから話しが飛んでしまった。
カンパネッラの『太陽の都』がとてもウイットに富んでいて面白い。つぎは、おなじみのトマス・モア『ユートピア』を精読するつもりだ。こちらは、幸い英文の原書も手元にある。いずれも岩波文庫。と、気付いてカンパネッラの方もネットで検索すると、グーテンベルク計画のおかげか、英文翻訳の『都』をダウンロード出来た。便利なものだ。この話しはまた別に。
学生諸君に---軽やかな白い学舎。長い廊下を喜んで散歩しました。みなさんの熱心な受講に感謝。日本は観光立国である。松山は神戸から少し遠いけど、地域に貢献する人材こそ宝です。何でも相談して下さい。応援しています。しっかり勉強して院に進んだり、有力企業やNPOに就業していただきたい。また、私たちのNPOの宣伝になって恐縮だけど、インターンシップにも積極的に参加をしていただければ幸いです。
高層の集合住宅
名だたる大企業の拠点である。
道はときにカーブするから、方向を見失いやすい。
ご近所のクリーニング店
交差点から概ね南に向かって、赤レンガ外装のマンションが美しい。
反対に向かって、六甲も見渡せる、神戸は山紫水明処である
三日目の授業に向かう。はじめてすっきり晴れた朝だ。
3階ごとに横連絡の通路をつけた高層の集合住宅。
インヒューマンな印象を与えないようにとの配慮からか、
至るところに緑濃いプロムナードが。
集中講義3日目。
神戸夙川学院大学の特徴のある学舎が青空の下に立ち上がっている。
列柱が軽やかなリズムを生む。
ガラス張りの外装と白い壁。窓も絶妙の配列。
それにいくばくかの遊びがあるのがいい。
小型カメラの限界か、くやしい。
もうちょっと良いカメラが必要。ライカならなお良い。
雪が消えた六甲山系。でもまだちらちら白いものがあるのかな…
神戸夙川学院大学の正面を入っていったところ。
彼方に、神戸港が見える。
回廊が新鮮である。
規模は違うが、東京駅北口の丸善があるビルを思いだした。
イタリアの画家、キリコの作品みたい。
モダニスムの空間構成。
季節が違うが、港に面した校庭にはウッドデッキの遊歩道もある。
中学三年の頃だったか近所の先輩がドライブで横浜港に連れていってくれた。
はるかな海の向こうへのあこがれ…。

2011年2月20日日曜日

神戸夙川学院大学の授業二日目、夕方にはIKEAを見学

2月15日、学舎を昼休みには散歩する余裕が生じてきた。雪も降った。まだひどく寒いけれど、晴れ間が見えてきたみたい。学内の教室番号に遊びがあって面白い。
学友会(昔流にいえば自治会?)にも空間が与えられていて、好感が持てた。
ボランティアやNPOなど自主活動がとても大事だ。こちらがNPOに頭を突っ込んでいるから言うのではないが、まじめにそう思うよ。
学生は共通の悩みをもっている。それはどこの大学でも余り変わりないみたい。三回生のひとが居たが、就活の智恵を貸して欲しいといわれた。面接をどう切り抜けるか、悩みはつきないだろう。
違った世代の人間との対話になれておくことも重要だろう。とてもしっかりとしてまじめな女子学生の方だった。

表示が面白い

学生達の部屋だろう。きちんとしている。
大学側からの気配りも感じられる。

図書館が廊下の右下に位置している。
図書館はだから吹き抜けになっていて、開放的な空間構成である。
こうした自由な複合空間の計画は余り国立大学法人では見られない。
一建物一用途という堅い見方は今後見直すべきだろう。






キャンパスの南側はコンテナーの配送の企業である。忙しく立ち働いている。雪がコンテナー上だけうっすらと積もった。一台の黄色い力持ちの運搬機器に驚いた。何でもひょいっと持ち上げて、トレーラーの後部に据え付けてしまう。そして、いつもながら巨船がキャンパスの南端に見えている。とてもユニークな神戸ならではの大学キャンパスだ。北側に医大や学院大の大きな建物が林立している。




晴れ間が見えてきた。ホッとする。
ポートピアホテル方面を教員室からの帰り際に撮る。


一二階が吹き抜けていて、採光や大学の一体感を盛り上げる。夙川学院大学を特徴づける明晰な空間構成。一階突き当たりが図書館である。

はじめて明るい六甲山系におめにかかる。二日目授業がおわり、ようやく息がつけた。

UCC本社を隔てて南側にIKEAの神戸店が展開している。

荷揚げのクレーンが動物のキリンみたいに見えている。
船が接岸している。
ホテルの窓から目一杯東北に視野を振る。灘、西宮方面か。
ホテルに帰って一休み。窓外の景色が明るさを増している。これはいつも親しんでいる明るい色調の神戸港一帯である。それにしても、ひどい悪天候だった。ようやく回復してきた。
どうしようか迷ったが、意を決してポートピア南側に展開しているイケアをのぞいてみることにした。
UCCの本社だろうか、しゃれたビルが見えている。さらに、新交通システムの南側に濃いブルーの建物が展開している。
 歩くと結構ある。なかなか入り口が分からない。結局、南側までとことこ歩いて、ようやく正面に出た。
沢山の家具の部材とリビングのセットなどが一式6万いくらなどと展示されている。若い世帯の一式など、沢山あって、エエッこれで6万円と驚いてしまった。価格破壊である。
コーディネータの女性がデスクを置いていて、客が歩く中でコンピュータ相手に執務している。信じられない開放的な考え方だ。進学・就職期を反映しているからか、大きなキャリアに沢山仕入れている家族が見えた。ストックされている部材を集めながらキャリアに乗せてゆかねば成らない。結構消費者にも腕力が要りそうだ。
予想通り、スウェーデン風の料理が楽しめるキャンティーン[カフェテリア]があって、必要最小限の食事が出来るようになっている。フランスの大学食堂を思いだす。味はやや単調だが、異国風で平日なのに結構人を集めていた。食べている廻りには中国語が飛び交っていた。なんの贅沢な風もない。質実剛健な北欧風が売り物らしい。
内部の詳しい写真はおそらくコードがあって駄目だろうとハナから思い、最小限の撮影にした。
商品のリビング・ダイニング関係の机イスがそのままレストスペースに使われている。
カフェテリアのキャッシャーのお姉さんに聞いたら、カップに課金するけれどもあとは自由に何を何杯飲んでも良いとのこと。セルフサービスが徹底している。


ようやく南側エントランスにたどり着く。

メインのビーフはシェフが整えてくれた。これで総額1500円程度。





食後のエスプレッソ。
これからこうしたジャンボ機が何機も入るみたいな巨大センターを構えた多国籍企業の花盛りになるだろう。商品の質とデザインと価格の熾烈な競争になる。我々の人材育成といっても、国際的に通用する人材の訓練にまでしっかり視野に入れておかなければなるまい。
そのためには何が要るか……。待ったなしで大学教育にも跳ね返ってくる。
一人でパリから夜行特急でウイーンまで行き更に、2泊、ハイデルベルクに一泊、ライン川沿いに特急列車でくだり、ケルン大聖堂に寄ってからパリの北駅に帰り着く。留学生としてシテに住んで居た頃の旅を思い出す。1984年の夏だった。今では大昔みたいに感じられる。
特にこの10年、激しいグローバリゼーションの波だ。
食後のエスプレッソの苦味をかみしめる。胸中に複雑な想いが去来した。

2011年2月19日土曜日

いつもの様に集中講座の始まりである

2月14日、相変わらずの寒い朝である。暖房を弱くてもつけていなければ寝られなかった。
咽がやられている。ホテルの朝食をやや慌て気味に食べに行く。時間は十分あるのに気分的には余裕がない。エレベーターが不思議なグリーン色である。ターキッシュというのだろうか。上等な万年筆のペリカンを思いだした。
のっていると不思議な感覚に包まれるエレベーター
シンプルな入り口ロビー
ホテルのレストラン。小細工がなくて好感が持てた。

静かな連休明けの月曜日である
外の景色を見ながら朝食に。
朝食は標準的なバイキングだが、必要なものはチャーンと揃っていた。あと、パンがやや寂しいかなという程度。野菜や湯豆腐などしっかりとる。小さなパンケーキは何の味もついていない。最近のはやりなのだろう。朝食をきちんととって、到着以来、はじめてほっと一息、落ち着いた。
身支度を整えて歩き出す。道がカーブしていたりするので用心する。大体の土地勘があるので少々まごついたが良く知った病院前駅の南側メインストリートにたどり着く。この道に沿って、今度は一路海側に向かって歩く。途中、神戸女子大のキャンパスを過ぎて、やがて神戸学院大学のキャンパスが見えた。
それにしても悪天候である。六甲山を遠望する。思いきって望遠側にズームして雪を捉えることが出来た。港からコンテナーを載せたトレーラーがうなりをあげて市内に向けて突っ走る。高速以外にこんなに豪快に車が走っているところはめったにあるまい。物流の大拠点であることがよくわかる。
道が湾曲している。方向を見失いやすい。
ホテル前のうねった道を行くとこの大きな団地にあたる。
クリーニング店もあった。

市民病院前を一路西に向けて進路をとる。
良い運動となる。それにしても寒いな。
ベンチのデザインが面白い。

古武士のかぶと見たいなコンベンションホールの一部
大型車がうなりをあげて通りすぎる。
北側に六甲の山並みが
前方に大学の運動場と神戸夙川学院大学が遠望される
視野を右に振る。雪の六甲に感動して何枚も撮る。
山写真を目一杯望遠にして撮る

左が夙川学院大学、広角気味にプロムナードと山々を
ようやく前まで来た。細い列柱が丁度よいアクセントになっている。

まっすぐな廊下。すべてのプロポーションが良くできている。
時計も良くマッチしている。向こうの明るい方はまた港である。
ようやく神戸夙川学院大学がはっきり見える場所にたった。好きなコルビュジェ風[建築史の素人の勝手な思い込みです、御寛容を]の白い建物が冬の景色の中に立っている。空中に浮遊しているような軽快な造形である。海に面していながら建物の中も底冷えを感じることはない。熱の出入りがしっかりと建築計画の中に盛り込まれているからだろう。それに室内のどこにいても暗いと思うことがない。採光が自然で、白い壁面とマッチしている。
授業は順調に進んだ。素直で熱心な受講生達である。主力は2回生であった。3講時づつ3日間であるから、あまりエピソードも深く語れない。意外に現代の情報化社会にまで説明を届かせるのがむずかしい。
ちょっと抽象的かなという言い方をしてしまっている。新聞も使う。板書を大いにおこなう。