2011年7月29日金曜日

期末試験を終える:テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』など

4月から7月末までの前学期では、大学院の政治学関係と学部の政治学IIとをリタイア後は非常勤で担当している。
昨日、政治学IIの期末テストを終えたので、これで教務関係はほとんど終わる。採点を済ませてオンラインで成績を記入しようとしたら、大学院の方がハングアップしていることを発見。
教育学部の教務係の方に知らせて、システムの点検をお願いした。
試験問題は、「“科学技術の民主主義的統制”について論じなさい」といった内容である。
単調な講義形式の授業では、一本調子にならないように、新聞を教材としたり(NIE=Newspaper In Education)、受講生への質疑応答を交えたり、様々な工夫をしている。
最終的にしっかりした答案が書けて、ディベート力が多少強くなってくれれば言うことはない。受講始めと期末とでは人間的にも学生諸君の成長が感じられることが多い。若いということは急激な変動の渦中にあるということだろう。彼らの前途は多難だ。教員採用試験や公務員試験やそのほかの就活が順調であることを願っている。
自分自身も講義を漏れなく聴講するという風なまじめ派ではなかったので、大きなことは云えない。しかし、ここ一番の学問的関心がある科目には前に座って聴講したものだ。少しの「優」と沢山の「可」という成績で、真ん中の成績が少なかった。変な学生である。
かといって遊んでいたわけではなかった。文庫本をつねに手元に持って、読み続けた。
古い文献を整理していたら、60年代末に大学院の講読のために読んだ『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の文庫二冊が出てきた。当時、よく分からない印象があった。授業では院生が分担して要約報告を承った。阪大から非常勤で出講されていた森教授から非常によろしいという評価をいただいた。面白い文献だが、部分的には意味不明で論理的にも通っていないのではないかと率直に疑問点も出しておいた。森教授はそこのところは君の言いたいことは理屈としては通っているが、今少し厳密に読み直してみるようにという示唆をいただいた。ドイツ語原文にまで手が及ばなかったが、日本の知識人は少なからず上記の翻訳本に影響されたはずだ。
戦前派の教授達の指導を受けた、我々は最後の世代に属するのかもしれない。
独歩の『武蔵野』も読み返したいと思っている。
充実した大学教育というのは今も昔もかわらぬ社会的課題である。

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