2010年2月21日日曜日

神戸雑感3--社会情報論覚え書き

社会情報論の教本が出来ないか構想しているがなかなか時間がない。
愛媛大学をはじめいくつかの大学の授業案がそれに当たるが、まことに恐縮ながら未だに統一的な説明に成功しているとは言えない。まだまだ勉強したいと思っている。
一般に、技術進歩は素晴らしい人類の開明と連帯を促進することは疑いない。情報コミュニケーション技術ICTは人類に距離と時間の克服を可能にすることを教えたのである。我々の知的生活において、例えば遠隔のデータベースに易々とアクセスできる瞬間、つくづくと便利さを堪能することになる。たとえば、月800円ほどのルモンド紙の有料購読者になって久しいが、この80年代初頭からのデータベースがなければ仕事の大半は苦労の多い、時間のさらにかかるものになっていただろう。
だが否定面も大きい。世界を荒らし回り堅気の市民の生活を破壊する金融投機など典型例だろう。最近では地球全体を小舟にみたてて、その方向性を負から正に転じようとする環境論的視点が強くなっていっている。それはそれで我々の認識の広がりのあらわれであろう。また、人類そのものの史的経過からしても、技術力は植民地主義の推進力として使われた。その突出した例としては、かの有名な「砲艦外交」gunboat diplomacy、すなわち蒸気船など海上兵力を用いた武力外交が挙げられるであろう。龍馬などという人たちは、この巨大な外国の圧力と闘い抜いたのである。いずれにせよ、技術革新の歴史には影と光の二つの側面を常に留保しなければなるまい。
現代社会を社会科学の立場から理解するためには多様なアプローチが許されることはもちろんである。社会科学こそはそれこそ社会的に開かれた自由な討論と考究の果てにしかその実を得ることができないのだから。大思想家の原理原則から攻めてゆくのは一つの有力な手法である。ウエーバーだとかマルクスだとかあるいは啓蒙期のルソーだとか、更に古い、マキアベッリ、ホブスなど、それぞれに深く面白い。最近、トリストラム・ハント氏によるエンゲルスの評伝(英文)が仏訳され話題をよんでいる(Le Monde 電子版、2010年2月10日付け)。エンゲルスのバイブルはThe Economist誌だったそうだ(曰く、「金融の方面における活動の指針を求めて社会主義者の新聞を読みふけるほど私はナイーブではないよ」)。
歴史は巡る。
さて、近代的な大砲の歴史をネットで調べ始めていたら、おなじエンゲルスの1860年におけるニューヨーク・トリビューン紙への寄稿「ライフル型野砲について」"On Rifled Cannon"、がmy primary souce collectionという博士論文のデータ集であろうか、英文のホームページのなかに掲載されているのを見つけた。近代的な旋条砲の歴史を述べたものである。全集にも採録されているものだが、かなりマニアックだ。もちろん、資本主義の歴史と技術論=戦争論が組み合わさっている。
なぜそれに触れたかというと、19世紀の理論家の文章もネットで即座に出てくるということなのだ。神戸のことを言うつもりが、社会情報論から始まり、ひどく脇道に入ってしまった。

*百万ドルの夜景の撮影も悪天候で待たされたが、ついに成功した。18階のホテルの自室から。

1 件のコメント:

  1. 私が先生の仰ることの意味を正しく理解し、確固たる自論を持って先生と議論できる日は果たして来るのか・・・と思わされる日記でした。笑
    また詳しく教えて下さいっ(●^∪^●)

    夜景、とっても綺麗ですねo(≧∀≦)o

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