2012年2月11日土曜日

被災地復興支援の活動はどうあるべきか:試論ノート

フランス人はNotes et Études[ノート・エ・エチュード]という言い方が好きだ。直訳すれば、「注記と研究」だろうか。モノグラフ[単一主題の論文]の下にかなり多くの注記がある場合もあり、こうした論文スタイルは経済学分野ではあまりはやらなくなっている様だが、行政学や政治学では依然として昔のままである。むしろコンピュータがこうした衒学的な傾向を加速したという皮肉もある。だが、ボルドー政治学院のサドラン教授等、彼地の研究者の注記は本文とともにわれわれフランス政治の観察者に貴重な情報源である。我が国の研究者も、暫定的な研究・調査の報告書に「研究ノート」というジャンル分けをする場合がある。正規の論文ではないと自ら称する場合だが、反対においしいものだけ並べようという下心ある論文よりもはっとする論点が、ひっそりとノートとしてあったりもする。論文だから高品質で研究ノートがより下位に属するとは言い難い。
さて、上記のノート・エ・エチュードだか研究ノートだか、いずれの呼び方でも良い。試論を展開しておこう。震災/津波被害からの復興という仕事を考えるときに、防災や減災の考え方を当然取り入れるべきだろう。海辺は住み慣れた場であるからと、元通りの海に近い海抜のところに再び住むというのは、やはり今後のことを考えて控えるべきだろう。在る程度の高度のところに住居と公共施設や産業を移転すべきである。海浜部に設けなければならない漁業施設や港湾設備などは、十分な安全補償システムによって防護されるべきである。NPOでは日本土木学会が本学に開かれたのにあわせて専門技術者を招いて勉強会を催した。市街地の作り直しの手法についてのベテラン技術者の報告は印象深いものだった。
公共性のつよい住宅建設、産業基盤整備などの事業が雇用を創出することがもちろん望ましい。現代のニューディールである。支援事業だが、寄付金/義援金募集タイプの活動のタイムスパンは長期にわたることは困難である。ならば、国の全力を注ぎ、産業(1次産業から6次産業まで)の復活と新規創造が望ましいことは当然である。復旧を成し遂げたかどうかは、緊急の避難状態から、静穏にして質のたかい雇用と生活の状態をすべての東北の人々と共に、われわれすべてが取り返した時、言えることだろう。
同情する、何かと気になるという反応(エモーショナルな同調性)は、それはそれとして、人間的に大切な反応だと思う。しかし、市民生活の復興という展望を獲得する姿勢には、まだやや距離があるのではないか。また、特に過剰なボランタリズムへの寄りかかりや過剰な期待にも要注意である。収入をともなう長期的な支援活動や起業支援の活動が望ましいし、除染を含めて市街地の復旧/改造、活性化のために大量の公的な資金が投入されて然るべきである。被災地の人々を中核に健全なプロフェショナリズムの展開が必要である。男女共同参画、ワークシェアリング、おおいに推し進めるべきである。
ここは、社会的なビジネス(Social Business=SB)やコミュニティ・ビジネス(Community Business=CB)の考え方を是非とも取り入れなければならない。共に、社会的課題にたちむかい、事業として成り立ち、革新性をそなえた事業取組を包括し、特に特定地域に収斂したSBをCBと呼ぶ。本稿では両者を特段区別せずに論じ、SBという表現を全体として用いるであろう。
さて、除染も慎重に全域にわたって行われるべきだ。首都圏ももちろんである。巨大な課題だが、この任務に日本の技術が応えられれば、only oneのイノベーションにもつながる。日本の科学技術陣の正念場である。
善意と人々の注意を引く魅力とをもった勇気づけの良質なイベントが必要である。だが更に考えれば、肝心の日常生活の構造的なテコ入れと立ち直り、コミュニティの再建ということが今後はより重要性をもってくるだろう。もちろん被災現地の人々の要望と方針/政策が基礎の基礎であるべきであり、被災地再建の取組を利益第一の視点からするいたずらな草刈り場にしてしまってはこのさきこの国自身が危ういことになってしまう。何とかしなければは心情的には理解できるが、ならば専ら催しや対話によってのみ何事かが変わると想像していたとすれば、事実に即したことにはなるまい。この先、数十年のタイム・スケールですべてが構想されるべきである。その為には、話題を拡散させ、芸能ショウの連続みたいなTV娯楽番組の連鎖は要チェックであり、批判は免れまい。こうしたレベルの日常生活主義は、日本人の飛躍の足かせになっている。エリート主義を吹き込むということではない。しかし、日本社会がもっている反知性主義の深層での克服は、より強い意味においてその意義が再把握されるべきだ。
風化は始まっている。それに日本社会の劣化も深刻に進行中だ。被災地も、われわれ西日本の地域も、産業の冷え込みとシャッター街化する現状と潜在的な核の脅威に引きずり廻されている。新鮮な海山川の幸と適切な調理や自然な加工食品の絶妙な組み合わせこそ、我々の寿命を世界最高水準にまで延ばしている食性であり、日本人が世界に誇ってもよいものだ。しかし、長寿は単なる身体的な長寿命に矮小化されてはならないであろう。お年寄りがコミュニティの中で尊ばれ、人間的な環境において日々生活することが出来なければならない。
過疎化、少子高齢化、地域産業の冷え込み、有効な雇用口の減少などなど、どの基準をとっても東北と四国島にいる我々とは同質性をもっている。我々が共に智恵を備えた行動力ある存在に飛躍しなければ隘路は突破できない。土曜朝のNHKテレビでは週末のふり返り番組があり、結婚する若者の割合がますます減少しているという問題が討論されていた。若者の就業形態が不安定化していることが一因だとのレポーターの指摘に、派遣系企業の利益代表や落語界の師匠が、「豊かな社会」における若者の贅沢な要求が根本問題だという対応を終始行っていた。前者は、派遣で年俸240万円だとしても、夫婦で働けば480万円になるとの意見であった。派遣労働/不安定就業形態の長期固定化のかなたに何を目指そうとしてるのだろうか?また、高福祉といっても北欧の国は規模が小さいから手厚く出来ると見解を述べていたが、それは論理的に反対ではないか。スウェーデンの様な1000万くらいの規模の国でさえ、環境への意識の高さと高福祉によって、強力な存在感を国際社会に与えているのではないか? 住宅の質とレベル、在宅看護の先進システム、失業/失職者へのサポート、男女共同参画/労働の社会的な分担と棲み分け(Work-share)、高い水準の教育(原則無償)と優れた生産性の維持、環境への高度な配慮…我が国も高福祉社会に仲間入りしてどうしていけないのだろうか? また、NPOやNGOなどを先頭に先進社会のノウハウをアジアに供給することによって、日本はアジア諸国に対して良いスタンスに立ちうる。
放送には、沢山の若い視聴者から意見が寄せられたという(残念ながら、ほとんどその内容は紹介されなかった)。
東北支援と四国地域のインターンシップの展開は、このようにグローバルなより大きな問題領域に繋がっている。社会的ビジネスこそ真の出番の時代なのである。若い知性の東北への派遣とともに、東北の働き手を西日本が積極的に研修生として受容れる事によって絆は深まってゆく。双方向的な起業おこし=インキュベーションが強く叫ばれなければならないであろう。統計資料も経過的な動きを示すのか、恒常的なトレンズをしっかり捉えているのか、判断は常に慎重にあるべきだろう。鼻息あらい業界利益代表に女性論説委員も若い社会学者も十分な反論をしているとは思えなかった。フランスの育児手当ての手厚さも紹介されていて参考になったが、若者サイドにたったまじめな理論の深化と共に、しっかりしたディベート力の備えが、いやしくも改革を求めるからには絶対に必要である。(本稿は未完)
2月8日、ようやく晴れてきた。六甲山系がきれいに見渡せた。
神戸市街も一部見えている。
ドスンと大きいスウェーデン風のデザート(IKEAのキャフェテリアにて)

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