2010年5月15日土曜日

不順な天候

どうも春がはっきり姿を現さないうちに、一足飛びに初夏に入ってゆく。
空が晴れても、気温が一向にあがらない。ひどい場合は5月であっても部屋に暖房が入る。それにしても、どうしてもヨーロッパの秋口の光景を思い出してしまう。1991年夏の終わりにリューベックをたずねる。トーマス・マンの生家を見たかったからである。それは大きな旧領事邸であった。9月の初めというのに、空は青ざめた女の頬のように透き通って、ひたすら薄ら寒かった。あいもののベージュ色のコートを羽織っている人も多かった。みな黙然(もくねん)と暮らしている。パリからハンブルクまでは夜行の寝台車をとった。目を覚ますと依然として列車は全速で走っていたが、いつのまにか反対向きに走行していたのには驚いた。早朝のハンブルクでローカル列車に乗りかえる。パリを本拠とした一ヶ月足らずの調査旅行の一環だった。北ドイツの憂愁を今でも忘れない。そこから壁崩壊直後のベルリンをへて、プラハ、ウイーンとたずね、パリにまた戻った。今でも大旅行だったと思う。
こういう冷涼な気候のもとでは、なるべく歩くにかぎる。心身ともに弱まる危険性があるからだ。過食はもちろん論外だ。ドイツ人、オランダ人、スウェーデン人、沢山の人々と82年から84年にかけての留学中は出会ったが、彼らは男女を問わずリュックを背負ってパリの中をどんどん歩く。真冬でも家に引きこもったりはせず、赤い頬をしてとにかく歩く。面白いと思ったが、彼らにしたらDNAに刷り込まれた生き残りの智恵なのである。とにかく歩くことだ。
先日はプレゼンテーションをおこなうことになった。本体は事務局長がしてくれたが、その後の委員の先生方との応答は私が引き受ける。5分の制限がはみ出して、10分にわたった。そのまま、近くのNPOの事務所をたずね、10分ほど歓談し一休みさせていただき、慌ただしく大学にもどる。なぜ急ぐかというと、その後に担当の授業があったからだ。
授業の進行では当然、さきほどのプレゼンの興奮を自分が引きずっていることを自覚させられるものとなった。
どうしても専門の方向には頭が向かない。自己管理論に流れてゆく。まあ専門科目の話はそれとして、知的生活の手続き論的な話もたまにはいいだろう。学生諸君との率直な意見交換はいつも楽しいものだ。
まず、我々が社会生活を送ってゆく場合の情報管理から述べる。新聞、TV報道番組、ネット情報や文献やそれに仲間内のおしゃべりなど。最近は学生諸君も紙媒体の新聞を読まなくなっている。我々も然りである。以前ほど気を入れて紙の方の新聞の記事を読まなくなった。出来事がああまたか…という具合に風化した感性のかなたを上滑ってゆく。曖昧な過渡的な時代。WEBでも各社は記事を載せて居てくれるが、本紙ほどの充実はない。だがいったい大新聞社はこの先どうしてゆくのであろうか?他人事ながら心配になってくる。
バブル崩壊後、ずーっとそうだったのではないか。つかみ所の無い苦しさが続く。
感動しないし、信用しないし、結果的には希望を持たなくなっている。しかし、それではどう考えても済まぬだろう。世界はきしみをたてつつ動いている。冷戦後の清算がまだ済んでいないみたいだ。紛争地帯はもちろんのこと、今度はギリシャを皮切りに南欧がいかんという。ここは肝を据えて情報洪水と戦う他ない。煮え切らないドイツ首相をサルコジ氏は脅しつけて統合支援策を練り上げたという。スリリングな状況である。
学生諸君には国内紙にとどまらず、ネットで読めるNYTimes[ニューヨーク・タイムズ]など優良な海外紙に是非親しんでもらいたい。そうすれば、いかに日本がガラパゴス状況(国際的に孤立した閉鎖領域)なのかが分かったりするからだ。Le Monde[ル・モンド]は専攻の商売上、予約購読者として月800円ほどを支払って読んでいる。有料の読者にはなにかと便利なツールが提供される。なによりデータベースが役に立つ。最新記事でも的は外さないのは流石だ。分かりにくいギリシャ問題でもずばりいち早くその本質が読み取れる。ただ、欧米の高級紙の癖(クセ)として、やたらに難しい単語を導入部で使いたがる。また、タイムズの方は私の英語力の貧困を反映してか、記事が長すぎると感じる。だから読み飛ばす以外に無い。それでいいのだ。
学生諸君への宿題は二つの新聞記事(今回は東京新聞)の3行要約を課しておいた。一つの新聞記事は一つのメッセージを伝えている。複数の主題をこめることはない。問題が重層的なのは当然だが、読者にいいたいことは一つに決まっている。ジャーナリストの方々に教えていただいた新人記者の鍛え方を大学の授業課題でも拝借している。
そうだ、そうした地道な努力の彼方に「人生や社会の難問を読み解く力」、すなわちPISA[ピサ]型の読解力が鍛えられるのだ。

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