2011年10月29日土曜日

SB1グランプリ2011 in 愛媛 二次選考会に

2011年10月28日(金)に催された上記の選考会に参加した。
昼食のタイミングを外してしまったので、国際ホテル松山の1階にあるバイキング式のランチをとる。
とてもおいしかった。色々な食材が少しずつ味わえて、健康上もたすかる。
カレーもほんのちょっと味わったが、良く煮込んである納得の味であった。
さて、NPOループ88四国、愛媛銀行感性価値創造室のみなさん、地域でご活躍の人士によるインキュベーション促進の選考に陪席した。ソーシャルビジネスネットワーク大学の本部からは宮島さんが参加された。
プレゼンテーションは9本であり、そのなかからグランプリ受賞者が選考される。
発表はそれぞれに考えさせる内容であり、これまでのブラッシュアップの結果であろう。作り込まれているなあという感じだった。聞き手のこちらの方が返って勉強になった。
6時前に勤務先の大学ミュージアムに帰着。次の微化石[びかせき]関連の展示があらかた完成していた。
最終見回りに参加。
そして今日はお城下散歩の皆さんが、大挙して大学に。コースを聞くと、これから隣の大学を経て、ロシア人将兵の墓を詣でてとおっしゃっていた。年配のひとが多いが、みな健脚であることが窺[うかが]えた。総じて、穏やかで静かな土曜日であった。
ベネチア風のリュート曲をコンピュータの外付けスピーカで観賞。本学に赴任して直後に仕入れたCDである。当時のレコードやさんも、なくなってしまった。
小さい頃は特に、そうしてどうかして今でも、カメラ、レコード、鉄道模型/ラジコン/プラモデルなどショーウインドや商品棚を見るだけでも心臓がどきどきした。こうした「ハイテク系」のお店がばたばたと商売を畳んでしまった。パリもサンジェルマン寺院前のレコード店、専門書籍店(ドイツ語文献も置いていた)など軒並みなくなっている。あとはいたるところ怪しげな日本料理、スシ店の氾濫である。看板からして正統派のスシが出てくるとは思えない店の花盛りである。余計な話しをしてしまった。

金曜日の選考会の模様
続々と散策の人々が補給所につどう。お接待の心である。
微化石展の導入ポスター

複雑な幾何学模様の微化石群
顕微鏡があると本能的にのぞいてしまう。
それにしても小さい。電子顕微鏡がなければ微細構造はとても分からない。
写真では出にくいが、ややクールな色温度のスポットライトに、
微化石の神秘的な形状が浮かび上がる

2011年10月25日火曜日

就活を支援する(2)

毎週火曜日の昼は、地域創成研究センターの演習室をお借りして、NPO法人愛媛アカデメイアの学生事務局会議と社会人基礎力講座のための時間になっている。
今日はまず、土曜日の大報告会を支えてくれた事務局のみなさんの労をねぎらった。自分でそういうのも変だが、実際、とてもよい集会だった。
今日は情報通信革命を改めて勉強の素材として取り上げた。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックらの業績をどう継承するか皆で論じ合った。もちろん彼らは時代の寵児としてICTのユビキタス化の時代に巨万の富を築き上げた。無名の青年達のダッシュがとてつもない創業と業績を産んだ。アメリカン・ドリームの担い手達である。GUI=Graphical User Interfaceの項目をほんのついでで良い、Wikipediaで引いて欲しい。ダイナブックのコンセプトを作り上げたアラン・ケイをはじめ、如何に多くの才能が今日の我々の輝く画面のなりたちにかかわったか、感慨を催さずには行かない。ゼロックスの中央研がなしとげた成果。ハイパーテキスト、タスク、メニュー、トラッシュボックス、ファイル、デスクトップなどなど、カタカナ英語の洪水を違和感なく我々は喜んだものだった。
しかし、こうした未知の荒野が現在のアメリカや日本の若者たちの前に変わらずあるかどうか、80年代と状況は大きく異なるものとなっている。
いまは、中国やインドが旗頭だと褒め讃えられている。グローバリズムのimplementationであろうか。中央部の技術的優位はその相対的地位低下に伴い周辺部peripheryに伝播してやがて中央部centreの優位を相対化してしまう。液晶の家電テレビではついに国産メーカーが韓国の進撃のまえにはじき飛ばされた。更に、アルゼンチン、オーストラリア、ロシア、ブラジルなどがあとに続くだろう。21世紀は中盤にかけて大規模なパワーシフトがおこる。疲れを知らない働き手には、われわれは敢えて国籍を問わない時代となった。偏狭なナショナリズムへの弔鐘が高らかに聞こえる。
Think-Padで知られるラップトップ・コンピュータは日本IBM社の製品だったのだが、そっくりそのまま中国のレノボに買い取られてしまった。当時は唖然としたものだったが、その後も順調なのだろうか。結局日本人技術者のご苦労があったのではないか。
国際経済環境の波は荒い。ドル安から今度は一転ユーロの信頼度がゆらいできた…。
雑念を記しているとどこまでも行きそうだ。

次ぎに、就活の手順第二段として、エントリーシートについてその概略を説明した。
細かい指示だが、スマートフォーンの限界を知ること。少なくともラップトップのコンピュータを自宅に構えて、作文や情報の収集、企業研究の為に使いこなすことである。これは高機能携帯に、実際、頼り切っている人が多いので、要注意である。必要な場合はマシーンを大学に持ってくる。
まず、皆さん方の先輩達の就職実績の概略を説明。もちろん、学部全体というわけではなく、多かれ少なかれ身の回りに居て、就活を自然に支援することになった学生諸君が、その努力により大きな成果を挙げてきたことを説明した。
エントリーシートの作成は、自身の長所/短所、困難に遭遇した時どう乗り切ってきたか、これまでで最も力を入れてきたこと[例えば、専攻の勉強だとか卒論、クラブ活動、NPO/自主団体での活動やボランティア貢献、留学など]、特定の企業研究ののちに企業にマッチした志望動機、希望する職種や将来像、などなど、共通して書かなければならない項目を今から書きだしておくことが大切。機先を制するものは一段と有利である。
NPO 活動は意外にも企業からは大きく評価いただける分野であり、有り難いことだと思っている。自主活動はいずれにせよ、売りである。当法人主催の想を改めた「就業基礎講座」が用意されているという。是非とも成功させたい。

Paris/Cité Universitaireのオランダ館。モダニズム建築の記念碑のひとつ

2011年10月23日日曜日

T-ACT共に挑む・明日をつくるトライアルin東北

内閣府補助金の支援を得た上記の集会が愛媛大学総合情報メディアセンターで催された。当日、冒頭で本集会の主宰法人としてご挨拶した。下に絵と共に採録しておきたい(一部文言を修正)。
参加者は約70名。
ゲストは、インターン生を受容れ指導いただいた陸前高田を中心に活躍されている企業経営者の皆様。
高田自動車学校社長・田村 満氏、八木澤商店社長・河野道洋氏、橋勝商店代表取締役・橋詰真司氏、同じく専務取締役・橋詰智早子氏、長谷川建設社長・長谷川順一氏、村上製材所・村上英将氏が参加。
また、大船渡に本拠を置く、東海新報社から取締役・編集長の佐々木克孝氏が列席いただいた。
またNPOの活動仲間である広島NPOセンターの松村渉氏、北海道キャンパスの長澤氏も急遽ご参加をいただいた。
陸前高田のみなさんの詳細な視察ぶりに感銘をうけた。本学では、えみかの物産販売やミュージアムも見学いただいた。また、夕刻には、大街道周辺も調査されていた。復興に向けた熱心な活動に敬意を表したい。
なお、現地でインターン生をご指導いただいてきたコーディネーターの川崎克寛、畠一樹両氏、ソシオエンジン社中野氏はじめ幹部の皆さんが終始サポートされた。
インターン生の感動的な報告の中になにより人間的な成長の軌跡が感じ取れた。本当に初歩的ながら自分で出来る起業活動モデルを編み出さなければならなかった。学校での勉強とは全く違った手順と発想の試練の場である。
最後に、新法人「なつかしい未来創造株式会社」の発足が町野氏や社長さん達によって披露された。北欧がモデルだが、斬新な将来設計図が期待されるという。楽しみである。
昨年のこと。文献の表紙を飾った北欧の絵のような風景とそこに溶け込んだ住居の姿にほれ込んで(もちろん高福祉社会があってのはなし)、しばらく廻りの方々にうるさく「なぜ日本でこれができない」と談じ込んでいた。その本がいま見当たらない。
フランスの村落も、列車の車窓から見ていると本当に美しく調整されていて、興ざめの看板などどこにもない。工場も概して整然とカラーコントロールされていて、いうことはない。経済力のある日本がこうした風景を含めた安全・安心の街づくりに立ち後れているのは憂慮すべきことだ。市街構造の抜本的な作りかえは、日本的な限界の克服につながるべきである。
夕刻から学生会館二階で感謝祭。また、大街道裏の烏賊やさんで二次会をもよおす。
久しぶりの方々を含めて、学生諸君と本当に良く話しが出来た。
コーディネータの皆さんや現地の企業家の諸氏とはなお時間を設けて、「腹を割って」話し合わなければと思った。企業人がいう「ベクトルをそろえる」作業がなおなお必要だ。
橋勝商店さんの橋詰社長とは、どのような形態であれ、松山/四国と陸前高田の人的交流を一過性のものに終わらせず、絶やさずに続けようと話しあった。
最後になったが、NHK、読売新聞、毎日新聞、愛媛新聞各社に取材いただいた。


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《NPO活動/東北支援アーカイブ》

        ご挨拶(要旨)      
                  
                                                    平成23年(2011年)1022
                  愛媛大学総合情報メディアセンター・ホールにて
                  NPO法人愛媛アカデメイア代表理事
                  愛媛大学名誉教授          岡村 茂

 311日からはやくも半年をこえまして、10月下旬、秋の候となりました。
 本日は、東北および東京地区のご担当の皆様方、また、東北支援のインターンシップにご参加のみなさんの結集をいただきました。
 ご多用中にも関わらずご参集いただきました。ご尽力に深く敬意を表する次第です。
私共は、愛媛大学/地域に拠点をおきますNPO法人としまして、学生諸君を中心に全力で本事業=内閣府地域社会雇用創造事業のT-ACT/東北支援に取り組んで参りました。
幸い、お隣の松山大学や四国他県の学生諸君の参加も得まして、四国圏内での責任部署をまもり、目標をとげることが出来たと考えております。地域の皆さんや大学人の協力のもとに、学生諸君の若い力が当法人の事務局を支え、インターン事業をおし進めてくれました。
言うまでもなく、東北被災地域の抜本的な建て直しと、四国をはじめとする地域の活性化とは堅く結びついております。
私たちは、この激動する世界のなかで、日本経済の疲弊を何としてもふせぎ止め、大きく回復させ、国際社会から信頼される元気な国ニッポンを築き上げなければなりません。そのためにも活発な地域の社会的ビジネスの立ち上がりが必要です。
高い技術力と困難な中でも思いやりの心を発揮することができる日本人にとって、いずれにせよその価値がためされる正念場であります。私たちは東北の皆様と手を組んで、新しい21世紀の可能性を切り開いて行きたいと決意しております。
しかし、未知の領域を切り開いてゆくこの仕事を前に、正直まだまだ分からないことだらけであります。若いインターン生をご指導いただきましたこと深く御礼申し上げますとともに、今後とも陸前高田の経営陣の皆様方をはじめ、ご関係各位より引き続き私共にご教示、ご指導賜りたく存じます。東北各地と四国、中国など各地のインキュベーションの流れが助け合い、励ましとなり、交流を深め、大きな実績となって豊かに実りますことを願って止みません。
来賓の皆様には、遠路の旅でお疲れかと存じます。松山におきまして鋭気をやしない、これからのお仕事に役立てていただければ幸いです。
簡単ですが歓迎の言葉とご挨拶と致します。

学内のイタリアンレストラン《セトリアン》で、最後の準備

普段は、なかなかお会いできない組み合わせ
話が弾む
コーディネータのみなさんの真剣なやりとり

大報告会が始まった。
陸前高田の最前線にたつ企業家のみなさんに、
マスコミの取材も熱をおびていた
第一期/第二期の活動を切り開いた面々

冷静な自己分析と社会人への確実な手がかり
終始熱心に議論にコミットされたみなさん




第一期、第二期の開拓者たち
本当に快活で滑らかな司会進行

熱弁をふるう田村社長
的確で構造的な発想を披露される河野社長。因に、
ご先祖は河野水軍のご一統とか。
八木澤とは米澤の意味だと。
世界は狭い。伊予のご関係でもあったとは
橋勝商店さんにおせわになりました
いろいろ思い出されて胸が熱くなる。
第三期四期のみなさん

うーむ、長考一番、長谷川社長

調査旅行と兼ねて、良い経験に

はきはきとした報告

東海新報社でのインターン生
地域の新聞の取材網のすごさが分かった。
東海新報社 佐々木編集局長の助言は冷静で暖かなもの

沢山言いたいことが胸を突いてでる





2011年10月13日木曜日

就活を支援する(1)

やや自然発生的だったが、在学生の就活を支援することが自分たちのNPOの重要な使命のひとつとなっている。直接日常的なカウンセリングは私が行うが、随時、学内外の方々に講師になっていただき、社会人基礎力講座としてお話をお願いすることもあった。
4回生の方々や大学院の方々は、全員第一志望に近い形で内定をかちとった。それに、院の一年生が教員採用に早くも合格するという朗報も加わった(彼の場合はほとんど自力の勝利だったが)。
すべて学生事務局をになったり、労をいとわず手伝いに動いてくれた学生・院生の方々である。努力の甲斐があったし、私たちも支援をして良かったと思う。就職難のこの時代にこのパーフェクトな学生諸君[こまかくは学生/院生だが、以下、すべて学生諸君、女子学生などと記述する]の成果は褒められてよいことかもしれない。

3回生について言えば、震災の影響で就活の一斉開始が従来の10月から12月にずれ込んだ。
早期の就活希望者の内定とりこみが大学教育へブレーキをかけてしまい、また、あわてて内定をとるために生煮えの人材を企業が抱え込み、早期離職の原因にもなっていると一般に批判されているところである。
しかし、就職活動、求職活動を学生達の完全な自己責任だと放置することはあまり感心しない。現在のシステムでは、ほとんどの就活生が授業やセミナーを頻繁に欠席し、数十社をうけて、そのうえ内定の手がかりさえ得られなかったということになりかねない。12月だとしても、かつての最終学年に入ってからの就職活動と比べてまたまた多くの問題を引き起こすことであろう。
特に、就活情報系企業の情報統制や操作の対象に無防備に彼らをさらすことにもう少し注意を払うべきだろう。大学人やあるいは大学周辺に居て状況をある程度理解しているわれわれが助言/直言すべき場面である。もちろん就活支援分野は、重要なソーシャルビジネスの対象領域でもある。要するに、むき出しの営利活動の対象として就活の流れを捉えることには異論がある。就活に利便性を与える目的の企業営利活動[リクルート系企業と言う場合もある]は全否定するわけには行かないが、こうした企業群の草刈り場に大学が無防備に「身を落とす」ことはあまり感心しない。大学の品格にも関わる問題である。
就業と高等教育機関の関わりは別個に詳しく論じるべき領域であろう。

ここでは在学生の就業活動を支援してきた教訓を少しずつ述べておこう。
学生諸君は友人からの口コミによるのだろうか、私のところに就活の相談に来る。
もちろん、NPO学生事務局のすそ野を拡げたいから歓迎である。
第一に、そもそもなぜ就職したいのかを相談者とじっくり話をする。費用などはとらない。カウンセリングの形をとった支援は私たちのボランティアである。
NPO活動での「インターンシップ」(はっきりそう意識しているか否かはべつとして)は就活に有効である。これは経験則だが、非営利活動法人に学生会員として参加することは就活態勢を築く上でも大切である。なぜならNPO活動は営業もおこなうし、社会的なはたらきかけも必要であるし、催しなどの手順・段取りを理解するうえなどで格好の舞台、OJT[On-the-Job-Trainning現場実習]の機会提供を行いうる場であるからだ。また、学生事務局での勉強会[新聞・雑誌の記事を素材に自由討論]も蓄積効果をもっている。何ヶ月単位で続ければ、侮りがたい力になる。もちろん「自主的に」という範囲である。

いずれにせよ、就活の手順を就活生は客観的に理解しておく必要がある。
自己分析=長所・短所の把握と希望分野、地元か大都市圏かなど、また企業の状況を素早く理解する、すなわち何をする会社・組織なのかをいちはやく調べ理解する必要がある。
大学の就職支援課へは、自分のニーズをしっかりしぼって相談しておくことが必要である。貴重なデータが蓄積されてはいるし、支援課が催す講座などにもしっかり目配りしておきたい。

さて、ここからが難物。エントリーシートでなにを書くべきか、これは結構いままでの経験者も苦労している。自分で自在に組み合わせ書けるようにする。日本語になっていない場合は容赦なく訂正。相手は忙しい。簡潔で訴求力ある内容と構成が求められる。

面接への対策は意外に見落とされている。それに前提として、当然ながら、服装・礼儀・健康管理などなどが伴う。
やがて若者たちは、教育課程での学習や研究とはちがって、自分の働きで賃金を得て生活をすることになる。就職はだから人生のもっとも重要な飛躍が求められる重大な難関である。ある意味では受験より困難かもしれない。
相手は企業や特定の組織で生き抜いてきた社員や職員や役員さんたちである。不満なら、なにも無理してあなた方を雇う必要などはない。皆さんに向けて、相当きつい質問が飛んでくることも予想される。過剰に萎縮してしまう必要はないが、プロテクトしておくこと、求職者としての自らの価値を弁証する用意が要るのだ。分かっている質問ならなんとかなる。分からない質問が来た時どうする。
明るくユーモラスに押し返せたらいうことはない。でも本当に詰まってしまったらどうする?
それぞれに対策がないわけではない。
要するに人間的な力量、コミュニケーション力がまったなしで相手の評価にさらされるのである。この人間的な力量は一朝一夕に身に付くものではない。しかし、努力し、工夫して築き上げ、自らを磨く毎日を過ごしているひとは、おのずと相手にその「気配」は伝わるものだ。採用企業があなた方にほれ込むようにしなけりゃ駄目。

最終段階の役員面接まで漕ぎ着けていたのに残念! うまくいかない場合もある。
落ちたらどうしようとがたがたになってしまい、青ざめ、硬直した無愛想な返事しか出来なかったという苦い実例である。もちろん、ほとんどの職場が集団的な協業[チームでの業務]を前提にしているのだからこれではプラス点はとれない。
媚を売る必要はさらさらないが、人間的にチャーミングでなければ相手はなっとくすまい。

ま、それやこれやで就活の悲喜劇を乗り越えて向こう岸に着かなければならないのである。
就職支援課長さんと短時間だがお話する機会が増えている。最後までねばって良い結果を得たことをご報告した。「結局は安易にあきらめないことですね」と、おっしゃっていた。同感だ。
粘りと的を絞った合理的な攻めがあれば、絶対に大丈夫とは言いきれぬが、最後の最後は何とかなるのではないか。そんな印象である。
短文をと思ったら、ずるずると長いイントロになった。随時各論を展開する。

がんばれ就活生諸君!

2011年10月9日日曜日

街はお祭り、そして中国民族伝統衣装展

街はお祭りである。
学内につい先頃できた保育所のこどもたちも元気に学内を神輿で練り歩く。
そして、本日から、中国の伝統民族衣装展がミュージアムで開催である。
華やかな開会式典での幹部の挨拶の後、いよいよ一般への公開となった。
華麗な服飾工芸の諸民族によるコンペである。
本学のミュージアムがさらなる生命力を発揮することを願ってやまない。そして言うまでもない、アジアをはじめ世界と協調していかなければならない。ミュージアムが道を切り開いて進む。
巨大な中国の民族居住地の地図に自分が生まれた丹東市を見つけた。戦前は安東と言ったそうだ。朝鮮半島から北上して鴨緑江を渡ると、丹東である。
子供たちの神輿が元気に学内を練り歩く。

素材の質感といい、色味といい、最高の一点。

2011年10月6日木曜日

Steve Jobs、早すぎた死

スティーブ・ジョブズSteven Paul Jobsがすい臓ガンで死去との報が入った。ウォズニアックSteven Gary Wozniakらと現在では時価総額が世界一の大企業になったアップル社の創業をおこなった。一旦は追われたアップル社に戻り、i-Macを経てi-Podやi-Phoneの大ヒットで企業基盤を盤石のものにした。
まだ、56歳だったそうである。
アップルとは、静岡英和女学院短期大学(後に共学四年制に再編され、静岡英和学院大学に)の国際教養学科に就職してからのご縁であった。マッキントッシュの使いやすさは、高校時代からの友人[理系だ]が親切にも教えてくれた。80年代の末にNEC98系の迷路で悩んだ末に放棄した苦い経験があったが、今度は絶対に使いこなそうと思っていた。
短大の学科が創設二年目を迎えようとする矢先、91年だったか、寛容にも当時出たばかりのIIsiを学科として購入してくれた。レーザープリンター付である。文字通りこの機械システムのとりこになった。外見はフロッグ・デザイン社のものだろうか、丸みを若干帯びていて、独特のベージュだった。ソフトはデスクトップという仮想の仕事机上で作動し、マウスによるグラフィック・ユーザー・インターフェイスである(この技術、なんとゼロックス社が開発したのに、商品化するつもりがなかったという。アップルはそれをもらってくる)。
販売とメインテは当時はキャノン販売の独占状態だった。
マシーンのメモリーも少なく(たしか8メガ)、ハードディスクも40メガと極めてささやかなものだった。ギガなんて言葉は90年代末に現在の大学での高速回線の速度から知った。
アメリカ市場で既に鍛えられつつあったためか、ハードウエアは堅牢だったが、ソフトやメモリー容量が追いついていなかった。原稿を調子よく打ってゆくと、突然あるところでドスンと来て、動かなくなる。
そうすると押しても引いても駄目だ。1時間半の頭脳労働が一瞬にしてパーになることがたびたびあった。だから、バックアップを5分ごとにくり返して、フロッピーディスクに記録した。そういえば、1.4メガの記憶容量をもつフロッピーディスクという記録メディアも過去のものになった。
合同研究室に置かれたコンピュータを独占するのもいけないので、パーソナルなマシーンをその一年後に購入した。乏しい研究費が一年分そっくり吹っ飛んだ。本当に当時のコンピュータやソフトは高かった。心通じる仲間にカナダ人やアメリカ人の教員も加わって、みんなしてソフトの使い方、ソフトウエアの間でのデータのやり取りなど、英語/日本語交えてとても盛り上がった。マッキントッシュのコミュニティだった。インストレーション、ローカライズ、アプリケーションなどなど、間に合わなくて改めて翻訳されることなくあふれ返るカタカナ英語がそっくり英会話に使えるので、意外に便利だった。
最初のパーソナルなマシーンは、作動中はビービーうるさい9インチ画面のクラシックIIであったが、この機械を私はいつくしみ、また、原稿書きに良く働いてくれた。フランス語のアクサン(アクセント)が日本語のワープロには反映されていなくて、ひところ大変に苦労する。日本語版とインターナショナル版の基本ソフトを小さな機械にいれて、スイッチャーで切り替えて使ったり、特定のキーボード・リソースを日本語版に移植したりした。多言語環境が未熟だったのだ。90年代半ばにはワルツワードだったろうか、その点を克服する便利なワープロも出てきて、ひとまず助かった。
アップルはしかし、理念とそれに追いつくはずのマシーンの現実の力とのギャップに常に悩まされてきたのではないか。また、生産の態勢もマーケディングも当初は弱く、注文しても商品が品切れということが90代の後半まで続く。マシーンのパワーとうたい文句がしっくり来るようになったのは、やはりこの10年だという印象がある。
ネット化されて、ブラウザーを常用するようになり、多言語環境は始めて技術的に克服され、当たり前のものになっているのが実感された[TCP/IPの基本設計の素晴らしさである]。コンピュータ文化はインターネットによってユニバーサルな本物になってゆく。現在のOSXはユニックス系であり、多くの有力な理系の専門家がマック・ユーザに戻ってきた。困った時、何度か彼らの救援を仰ぐことが出来た。
そんなこんなで、アップルの創業者達は、我々の崇拝の的であった。実際はそうじゃないらしいが、ガレージファクトリーという言葉がもてはやされた。
個性の強いジョブズには、人によって好き嫌いがあるだろうが、初期マックを技術的に支えたウォズニアックと共にアメリカ現代史を飾る人物であることは間違いない。
ニューヨーク・タイムズ紙NYTimesは、"Steve Jobs, Apple's Visionary, Dies at 56"[アップルの預言者、スティーブ・ジョブズ、56歳で死去]と言い、フランス高級紙の雄、ル・モンド紙Le Mondeは、"Steve Jobs, l'ex-patron visionnaire d'Apple, est mort"[アップルの預言者スティーブ・ジョブズ前社長が死去]と、期せずして彼のカリスマぶりを称賛する見出しになっている。
感慨深いものがある。アップルやマイクロソフトをはじめ開発技術者や働く人々の血のにじむような努力の末に産み出された製品やサーヴィスは、我々の知的生産の環境を一変させた。400字詰めの原稿用紙に書いたり訂正したり、はては破ってすてたりという「苦行」は遠い過去のものとなった。われわれは原稿を打ちながら考え、訂正しながら次の文句を考える人種になった。文章を書くという側面からは生産性は一挙に数倍化した。
ギッコンシャッコンと文系の我々もソフトやハードのご厄介になり、いくばくかの文章を上梓することが出来た。そうして、ささやかだが端末利用者としてシステムがよりユーザフレンドリーなものになるように、願ってきた[カタカナ英語の氾濫で恐縮]。

先駆者の早すぎた死に黙とうを捧げたい。

2011年10月4日火曜日

少し忙しくなってきた

今日は午前中は、午前中は業界特化分野の基礎演習のうち、社会的事業分野の講義をおこなった。厚生労働省系の基金訓練の一環である。本NPOは学卒未就業者の支援をおこなうべく、基礎訓練の講座を開設し運営している。大学側の施設面での支援は大変に有り難い。
本日の講義の参考文献は、『ソーシャルビジネス研究会報告書(平成20年4月)およびソーシャルビジネス推進研究会報告書:平成22年度』 『地域新成長産業創出促進事業(ソーシャルビジネス/コミュニティビジネス連携強化事業)[平成23年3月]』などである。
池上さんではないが、現代史の流れの大きな構図を描いておいて、その中に社会的事業分野が特別に重視されるに至った経緯を十分な時間をとって講述するようにつとめた。
冷戦下の西側世界、イギリスなどでの福祉社会建設の先行例、大きな政府の出現、イギリス病と呼ばれる現象、サッチャーリズムの展開(レーガン政権の追随)、小さな政府=福祉民営化への流れ、新自由主義の制覇、規制緩和の大波、小泉政権、少子高齢化、格差問題などなど、順を追って論理的に整理できる様に述べてみた。かくて、上記の二番目の報告書がいう社会的事業への注目が始まったのである。
報告書はまとめて次のように述べる。
ソーシャルビジネスとは、「様々な社会的課題(高齢化問題、環境問題、子育て・教育問題など)を市場として捉え、その解決を目的とする事業」であるとし、「社会性」「事業性」「革新性」の特徴を備えていなければならない、と。
こうした新しい枠組みの取組は、イギリスや北欧諸国を中心に、制度疲労に悩みかつほころびを見せた福祉社会の修復を行い、現代生活の諸問題に果敢に挑む事業を産んでいった。若者は再びこのフロンティアへのあこがれと挑戦を行いつつあり、私たちリタイアした人間にも、社会経験を活かした再挑戦の貴重な領域が開けてきているのである。
幸い、授業では現代史の流れとともにソーシャルビジネスの時代の到来が理解できたという感想をうけ、ホッとした次第である。
昼は、定例の学生事務局会議と研究会を開催した。場所は、地域創成研究センターのセミナールームである。
こうした催しは、新3回生が主力になりつつある。記事は、「新型iPhone、小幅なデザイン変更か---販売は絶好調維持へ」(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版、2011/10/03)、「仏アレバの新CEO、繊細な舵取り求められる---福島原発事故で業界に逆風(同じく)」、「ギリシャ、12年までの財政赤字目標は未達の見通し」(ロイター日本語版、同日付け)、「今年の財政赤字、目標を大幅超過---ギリシャが追加歳出削減へ」(同じく)などを素材に自由な討論をおこなう。特にギリシャはまことに興味深い国際政治的な位置づけが出来る。なぜこのような深刻な事態になったのかを考えた。
結局われわれは、冷戦のツケをいま頃になって払わさせられているのかもしれない。
学生諸君が次々に四国地区のインターンシップにも参加しつつある。
夢を現実のものにする実務能力と自由な構想力を養って欲しい。積極的なことはなににつけ良いことだ。
あたらしい事務局の皆さんと(全員写真ではありませんが)