2011年10月6日木曜日

Steve Jobs、早すぎた死

スティーブ・ジョブズSteven Paul Jobsがすい臓ガンで死去との報が入った。ウォズニアックSteven Gary Wozniakらと現在では時価総額が世界一の大企業になったアップル社の創業をおこなった。一旦は追われたアップル社に戻り、i-Macを経てi-Podやi-Phoneの大ヒットで企業基盤を盤石のものにした。
まだ、56歳だったそうである。
アップルとは、静岡英和女学院短期大学(後に共学四年制に再編され、静岡英和学院大学に)の国際教養学科に就職してからのご縁であった。マッキントッシュの使いやすさは、高校時代からの友人[理系だ]が親切にも教えてくれた。80年代の末にNEC98系の迷路で悩んだ末に放棄した苦い経験があったが、今度は絶対に使いこなそうと思っていた。
短大の学科が創設二年目を迎えようとする矢先、91年だったか、寛容にも当時出たばかりのIIsiを学科として購入してくれた。レーザープリンター付である。文字通りこの機械システムのとりこになった。外見はフロッグ・デザイン社のものだろうか、丸みを若干帯びていて、独特のベージュだった。ソフトはデスクトップという仮想の仕事机上で作動し、マウスによるグラフィック・ユーザー・インターフェイスである(この技術、なんとゼロックス社が開発したのに、商品化するつもりがなかったという。アップルはそれをもらってくる)。
販売とメインテは当時はキャノン販売の独占状態だった。
マシーンのメモリーも少なく(たしか8メガ)、ハードディスクも40メガと極めてささやかなものだった。ギガなんて言葉は90年代末に現在の大学での高速回線の速度から知った。
アメリカ市場で既に鍛えられつつあったためか、ハードウエアは堅牢だったが、ソフトやメモリー容量が追いついていなかった。原稿を調子よく打ってゆくと、突然あるところでドスンと来て、動かなくなる。
そうすると押しても引いても駄目だ。1時間半の頭脳労働が一瞬にしてパーになることがたびたびあった。だから、バックアップを5分ごとにくり返して、フロッピーディスクに記録した。そういえば、1.4メガの記憶容量をもつフロッピーディスクという記録メディアも過去のものになった。
合同研究室に置かれたコンピュータを独占するのもいけないので、パーソナルなマシーンをその一年後に購入した。乏しい研究費が一年分そっくり吹っ飛んだ。本当に当時のコンピュータやソフトは高かった。心通じる仲間にカナダ人やアメリカ人の教員も加わって、みんなしてソフトの使い方、ソフトウエアの間でのデータのやり取りなど、英語/日本語交えてとても盛り上がった。マッキントッシュのコミュニティだった。インストレーション、ローカライズ、アプリケーションなどなど、間に合わなくて改めて翻訳されることなくあふれ返るカタカナ英語がそっくり英会話に使えるので、意外に便利だった。
最初のパーソナルなマシーンは、作動中はビービーうるさい9インチ画面のクラシックIIであったが、この機械を私はいつくしみ、また、原稿書きに良く働いてくれた。フランス語のアクサン(アクセント)が日本語のワープロには反映されていなくて、ひところ大変に苦労する。日本語版とインターナショナル版の基本ソフトを小さな機械にいれて、スイッチャーで切り替えて使ったり、特定のキーボード・リソースを日本語版に移植したりした。多言語環境が未熟だったのだ。90年代半ばにはワルツワードだったろうか、その点を克服する便利なワープロも出てきて、ひとまず助かった。
アップルはしかし、理念とそれに追いつくはずのマシーンの現実の力とのギャップに常に悩まされてきたのではないか。また、生産の態勢もマーケディングも当初は弱く、注文しても商品が品切れということが90代の後半まで続く。マシーンのパワーとうたい文句がしっくり来るようになったのは、やはりこの10年だという印象がある。
ネット化されて、ブラウザーを常用するようになり、多言語環境は始めて技術的に克服され、当たり前のものになっているのが実感された[TCP/IPの基本設計の素晴らしさである]。コンピュータ文化はインターネットによってユニバーサルな本物になってゆく。現在のOSXはユニックス系であり、多くの有力な理系の専門家がマック・ユーザに戻ってきた。困った時、何度か彼らの救援を仰ぐことが出来た。
そんなこんなで、アップルの創業者達は、我々の崇拝の的であった。実際はそうじゃないらしいが、ガレージファクトリーという言葉がもてはやされた。
個性の強いジョブズには、人によって好き嫌いがあるだろうが、初期マックを技術的に支えたウォズニアックと共にアメリカ現代史を飾る人物であることは間違いない。
ニューヨーク・タイムズ紙NYTimesは、"Steve Jobs, Apple's Visionary, Dies at 56"[アップルの預言者、スティーブ・ジョブズ、56歳で死去]と言い、フランス高級紙の雄、ル・モンド紙Le Mondeは、"Steve Jobs, l'ex-patron visionnaire d'Apple, est mort"[アップルの預言者スティーブ・ジョブズ前社長が死去]と、期せずして彼のカリスマぶりを称賛する見出しになっている。
感慨深いものがある。アップルやマイクロソフトをはじめ開発技術者や働く人々の血のにじむような努力の末に産み出された製品やサーヴィスは、我々の知的生産の環境を一変させた。400字詰めの原稿用紙に書いたり訂正したり、はては破ってすてたりという「苦行」は遠い過去のものとなった。われわれは原稿を打ちながら考え、訂正しながら次の文句を考える人種になった。文章を書くという側面からは生産性は一挙に数倍化した。
ギッコンシャッコンと文系の我々もソフトやハードのご厄介になり、いくばくかの文章を上梓することが出来た。そうして、ささやかだが端末利用者としてシステムがよりユーザフレンドリーなものになるように、願ってきた[カタカナ英語の氾濫で恐縮]。

先駆者の早すぎた死に黙とうを捧げたい。

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