2010年11月5日金曜日

城北遺跡の上に暮らして

ほとんど大学のオフィスにくると仕事だらけなので、家にいる時間よりオフィスにいる方がはるかにながい。定年後の仕事なのだが、これが意外にいそがしい。いい運動になり、生活習慣病の防止になっている。3日は文化の日だったが、久しぶりに休養した。どっちみち大学は電気系統の点検で仕事にならない。
フランスにいるときにはシテ・ユニベルジテールにあるアブルー館にいた。直訳すれば「大学都市」だが、別に学舎が並ぶわけではない。神宮外苑みたいな広大な敷地に各国の館が建っている。要するに宿舎の集合地がシテと呼ばれているわけだ。
そういえば、研究者のためのわれわれの宿舎では電源が良く落ちた。各部屋への電気容量が極端に少なかったからだ。館長がなんでも節約家であったそうだ。個人的にはこの厳格な宗教学者はとても親切にしてくれた。忘れ難い人だ。そんなわけで、なかなか秋になっても暖房が入らないのでこれは閉口した。電気ヒーターも入れるわけに行かなかった。
そのうち、ソックスを登山用に改めようと気付いた。それから足下の冷えにはそれほど悩まなくなった。外出には登山用の頑丈な靴、二重にしたソックス。暖かいコート。それから地下鉄の駅で地上に出た時に方角を瞬時に理解するためのトレッキング用の磁石。なんのことはない、探検家みたいな装備になってくる。これらは優雅なパリ生活の必需品だ。海外暮らしはそれほどやわいものではない。
必要なものがなければ頭を使って補わなければならない。
あるとき愛用していたソニーのラジオの変圧器が動かなくなった。思いきって箱を開けると、二つのヒューズが目に入る。ひとつはどう見ても正常だ。もう一方は見事に飛んでしまっている。
同じ館の技術系の方に聞いて、仕様を理解した。
その辺の店で聞いて廻っても駄目。最終的にモンパルナスのフナックfnacの地下で部品を手に入れた。嬉しくて三つも買って帰る。さっそく修理する。見事に直った。ちなみにこのフナックは、超大型の書店であり、また、レクリエーションのためのスポーツ品から、平面テレビまで何でもある。便利だがお陰でパリの小商店は割を食ったみたいで、あらかた店を閉じてしまった。
さて、我々が居た館の館長(パリ大学の教授達が兼任していた)も何代かいれかわったはずだ。
シテの西の端ちかくにあったわがアブルー館から中央館へといつも歩いて食事に行った。
中央館=サントルはロックフェラーの寄付になる堂々たる建物である。クラシックな風なので、19世紀の作品とながいこと錯覚していた。実は、1930年代の近代建築だった。
しかし、このスタイルは良い。
真四角のコンクリートの箱よりも人間的だ。パリ市街との調和が考えられたのであろう。ドイツなど遠くから旅をしおえて帰ってくると、なぜかホッとしたものだ。
そのほか、ル・コルビュジェの作品が二棟あった。われわれのすぐ横のオランダ館の設計者も著名だという。そのつどしまったとなるが、コルビュジェ作品は今度行く機会があれば絶対に詳細な映像を撮りたいと思う。
ひらひらと時間が手の中から滑り落ちて、もう何年になるか。
1982年の秋にパリに到着した。フランス政府の給費留学生として希望に満ちたパリ生活だった。まもなく父の訃報に接した。到着して10日も経っていなかった。サン・ギヨーム街に面するパリ政治学院の大学院に在学して、2年2ヶ月ほどで帰国した。父の死を看取れなかったことはその後いつまでも自分を苦しめた。
留学中にようやく主題を絞り込めた。ライフ・ワークをフランス分権化改革の政治社会学的な研究と定めた。このテーマはそのまま先日出版した文献の表題とした。正誤表を添えて、学位請求論文にもした。
この主題は集中的に勉強した期間がばらばらで、断続的に30年近くを費やした。
それでも振返ると一本の道が自分の後ろに出来ていた。
それは情報化の荒波にもまれて、時によろよろと右に左にジグザグな模様を描いたのであった。
人は考え、生きてゆかなければならない。在外留学は大切なことを教えてくれた。


ローザ・アブルー・ドゥ・グランシェ館の東側
左端の311室に2年間滞在した。

お隣のフランス地方館、とても規模が大きい。朝食はよくこの一階のキャフェで
とっていた。決まって、カフェオレとバター付きのフランスパンだった。

パリのシテ・ユニベルジテールの中央館。レストラン、キャフェ、劇場、
教授達の宿舎など、堂々たる複合施設である。
たしかカナダ館だったか。
というわけで、広大な敷地に各国の特色ある寄宿舎が建ち並んでいた。
「青春のシテ」とどなたかが言っていた。まさにぴったりだ。




1 件のコメント:

  1. なんだか小説みたいで、
    読みふけってしましました\(^o^)/
    私はヨーロッパに行ったことがないので、
    先生のお話を伺って、ますます
    行ってみたくなりました!
    何故日本人はパリに憧れるんでしょうね。。

    返信削除