2010年11月11日木曜日

就活解禁の期間に公的な規制を

3回生が就活期に突入である。これは石渡嶺司氏らの主張に賛同する私には一言なからざるべからずである。石渡氏は大沢仁氏と共に、『就活のバカヤロー:企業・大学・学生が演じる茶番劇』光文社新書をものされている。この文献は、現状が劇的に改革されないままに凍りついているだけに、アクチュアリティ[現実の有効性、ないし、現代性]を失っていない。別言すれば、現実に立派に通用する本だということだ。
石渡氏らはさらに、じゃあそれならどうすべきかという別の著作も多く出されている。
ここでは、私なりに就活の現状を批判し、公権力の消極主義を批判しておこう。
授業では良く新聞の記事を使う。例えば、朝日新聞11月8日付け、「就活 これでいいの?:大学・企業・学生が対話」とか、11月10日付けでは、「就活 4年生の夏から?:早期是正へ、商社団体方針、経団連も「1月までに方向性」」など、たてつづけに就活が取り上げられている。
学生諸君と対話を交えながら授業を展開しているが、今回は就活の現状についてNIE(Newspaper In Educationの手法)を意識しつつ徹底批判をおこなってみた。
まず、3回生の秋口から大動員がかけられて、肝心の大学生活後半の授業において一般企業志望の学生が欠席することが常態化している。私の政治関連の授業なども木曜日の午後2時50分からであり、集中的に被害を受けている。この曜日には学内での就活関連講習会が開かれるし、学外に出張ることも多いからだ。欠席は学生の自己責任の領域だが、こんなに走り回って、深刻な学問的訓練が行き渡らないのは当たり前だろう。
たとえバスや連絡船の中で読書に励んだとしても、軽読書に終わってしまい、深刻な思索はしにくい。
大学の3回生の段階で本当に専門性の強い勉強に入ってゆく。その場合、就活で忙しいから欠席というのは、教育側からするとまったく納得し難い。就職情報系企業が催す大規模説明会が都市部のしかも平日におこなわれるために、地方の学生達はより大きな雇用市場に引かれて一斉に大学の授業を休み、長い旅程をこなして、首都圏や関西圏に足を運ぶことになる。莫大な時間と労力が、ただ会場に行っていなければ情報にありつけないという恐怖心から、多くの若者を駆り立てることになる。正規社員の職をどの分野で、どの地域で、どの様な規模と内容の企業をターゲットに獲得しようかというポリシーがないままに平均的、総花的に就職活動をおこなうことにまず問題がありはしないか。
つぎに、企業の姿勢も問題である。記事の中では、遅れて採用試験をおこなった大企業が実際に早期採用の場合と比べて、人材に遜色なかったという皮肉な例を示している。まず、企業の側がこうした大学教育を途中でやめさせるような人事採用システムに勇敢にメスを入れる覚悟が必要。説明会は少なくとも4回生の5月以降におこなうべきであろう。
住友商事の人事部長は、「「本分」は学業にとどまらない。アルバイトやボランティア、仲間との交流。ボランティアを3ヶ月経験するだけでも人間力は増す」と指摘。「学生が本分をまっとうできる環境を整えることこそ、産業界の責務」であり、「採用時期を遅らせるべきではないか」という見解をのべている。現場の批判的な意見は重みをもっている。
最近の学生や院生は海外への留学を早期就業(早期の内定獲得)を阻害するものとして敬遠するという。これでは日本型の平和国際戦略といっても絵に描いた餅になる。
だが、政府の側は、是正を申し入れるだけでさしたる動きを示そうとしていない。ここは、国民的な議論を起こし、最終的に公権力が規制に入る場面ではないのか。それでも経済活動の[絶対的な]自由を主張する人が居るとすれば、公教育を破壊する動きを自主規制さえできない現状を深刻に反省すべきだろう。こうした新だか旧だかしらないが「経済的自由主義者」には、代替案をお聞きしておきたい。
赤信号、みんなで渡れば怖くないとは、日本的集団主義への痛烈な批判を含意している。
「就活」の中に、戦争の悪夢と日本的集団主義の残存を見ないわけにはいかない。そう言い切ったとしたら、飛躍しすぎであり、時代錯誤だろうか?決してそうは思えないのである。日本製品の質的な改善とコストの全般的な削減に日本的集団主義が発揮されたのは周知のことだ。経済大国の基盤はこうして熟練工や技術者やサラリーマンたちの献身的な努力によって成し遂げられたのだ。日本の農業製品が優秀なことも中国市場が立証している。しかし、小グループ基盤の生産組織の優位性が発揮されたのは遠い昔のことである。
日本的集団主義にいまさらながらに固執することは時代錯誤だ。
今は、自主自立の精神と行動力を有する人材の連携協調の時代である。一歩前に進むべきところを、丸バツの受験戦争と過保護な若者たちが、ほとんど批判的な発想を封じられて同じ格好をして走り回る。その実、かつての集団主義の虜に未だになっていることには、彼らは気付かないのではないか。
こうした就活のステークホルダーたちの「茶番劇」に、いまこそ地域おこしという対称概念をうちたてて、みずからを自立した個人として確立すべきではなかろうか。
就活系の企業の笑い声のみ聞こえる気がする。
我が国は隘路にさしかかっている。だから、従来型の行動規範には厳しい批判的な視線を向けるべきなのだ。

1 件のコメント:

  1. 私も、公権力が就職活動期間の規制に入ることに賛成です!
    このような現状では、大学の勉強も、NPO活動もままなりません!
    就活よりも、したいことやせねばならないことは沢山あります。
    しかし、一生に一度しかない新卒という時期を、
    無駄にしたくないという本音もあります。
    そのため、何をおいても就活第一の生活にならざるを得ません。
    早急に解決せねばならない問題ですが、
    1年2年でどうにかなるものではないでしょう。
    社会の形態がそうであるなら、その一部である私たちは、
    従うより他ありません。
    ただただ、悔いの残らない就活になるよう、
    全力で頑張るのみです!

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