毎日新聞の地方欄に選挙結果に関するインタビュー記事が掲載された。聞き手は同紙松山支局の中村敦茂記者。
識者に聞く
「政治とカネ」「沖縄」「地方分権」置き去り
岡村 茂・愛媛大学名誉教授
(政治学、地方分権化改革)=66歳
争点を消費税にそらされて、政治とカネや沖縄の問題が突然消えてしまった。政治心理学的には、「これでいいのか」と心にひっかかりが生まれ、根本的に燃えることが妨げられてしまった。
税収欠損に対策を立てるなら、菅直人首相は、野党ではなく、むしろ腹を据えて国民と深い議論をしなければならなかった。昨年衆院選での対話型で国民の期待を高めていく選挙戦略とは、大きく違った。民主党内は既にがたついており、内紛体質を克服できない限り、党再編など重大な結果が見えている。
愛媛選挙区では、山本さんは保守地盤があり、選挙に慣れ、首長と組み、良くも悪くもベテラン政治家。一方(社会保障に特化した)岡平さんの政策はすこし寂しく、単一政策課題の候補、との印象を与えてしまった。地域の参議院議員として全体を見渡すという山本さんの打ち出し方が県民の心をつかんだ。
岡平さんは、社民党からのくら替えも、ネガティブな印象があったと思う。あえて民主公認である意味があったのか。無所属ではいけなかったのか。擁立にかかわった小沢一郎党幹事長(当時)のやり方は、いつも最後のワンポイントで国民に説明がなく、たとえ善意を持っていたとしても損をしてしまう。
広域市町村合併で、旧市町村の草の根自治が脅かされている。基礎自治体が担う「近隣の民主主義」を再活性化させる施策は国がやるべきだが、地方分権のテーマは今回、置き去りにされた。日本創新党の中田宏氏などの動きがあったが、系統的な分権化と国政とのつながりを押し出せなかった。
(毎日新聞7月13日付け、引用終わり)
以下、補足の論評を加えておこう。
岡平さんは当然民主党候補者としての最初の挑戦だった。
山本氏35万に対して、25万票であった。善戦だったともいえる。他党を含めて国政レベルで発言できるアクターが増えてゆくことは良いことだ。日本人の「非政治主義」は、ますますもって世界の流れに反している。日常、茶の間での政治談義がもっと熱を帯びなきゃ駄目だろう。お任せしました、政治家さんしっかりやってちょうだいでは、政治の世界はいつまでも鈍感なままに留まるだろう。
より重要なことだが、参議院「地方区」の意味合いが分からなくなっている点である。これでは巨大な小選挙区制であろう。
それと当たり前のように新しいいくつかの党から「小さな政府」だとか、国会議員の定数削減が政策上の目玉として打ち出された。党首討論会などでもしっかりした反論は少ない。公務員叩きとも通じるものである。
特権を享受している公務員など、国家行政機構における頭頂部のほんの一握りである。国や国に準じる独立法人の職員の日常生活など、実に地味なものだ。公務員=悪=税金の乱費という単純図式は政治的議論の幅を狭めてしまい、反論を許さない重苦しいタガとなる。廉直な多数の勤め人を無視するのは正しくない。
小さな政府という言辞の底の浅さも指摘しておきたい。それなら大きな政府がいいのかと来るが、そもそも何に税を振り向け、どの分野に専門の職員を配置すべきかという原則論が脱落している。この種の議論の根底には、福祉はかねがかかり人手を食うからそれは民間に任せてという古い議論がちらつくから要注意だろう。国会議員の大幅定数削減論などは大政党の看板を掲げておきながら余り仕事をしていない議員を沢山抱えていますと云わぬばかりで、ややこっけいである。
国会議員の職務遂行の透明性を確保してから定員問題は論じるべきであって、我が身をまず犠牲に供してはじめて国民に痛みを分かち合ってもらうことが出来るというお涙ちょうだいは、全く以ていただけない。
国会議員から範を示してというのは、なにより自ら身を挺して国政の任に当たることであり(民主主義の発展を阻んでいるタブーへの挑戦と国民の苦難を軽減する政策の調査立案)、定数を減らしたからといって直ちに国民が感激するわけではない。
二大政党制も水戸黄門の紋所みたいに振り回されるが、本家の英国ではとっくに保守と労働二党の支配体制は崩れてしまっている。英国の政治状況が理想的とは言わぬが、時代ははっきり変わりつつあるのではないか。出来の悪い一党独裁は絶対に不可だが、出来の悪い二党制もそれに劣らず民にとっては不幸の種である。
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